私自身は顯進様が摂理的長子であられると確信しています。 しかし、顯進様お一人ではなく、神様を中心として真の家庭の四位基台がなされてこそ実体的天一国の出発を成すことができます。 真の家庭理想の復活のために、祈りを込めて書きたいと思います。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
2009年3月、束草霊界メッセージ捏造事件
これは、天宙史的クーデターに楔を打つ事件だった。徹底的にお父様の御言を中心に見て行く。
2009年3月8日 安侍日のお父様の御言。到着されるや否や、お父様は訓母様を探される。ところが訓母様が現れない。そしてお父様の御言は続く。
「先生の勝手にするのではありません。神様と霊界に(行った)先生の息子である総司令官を中心としてするのです。孝進も行ったのでどうなりますか?霊肉界が一つになった基盤を中心として地上も歩調を合わせなければいけません。」(文鮮明先生御言葉選集609-126)
お父様はこの時、これから誰を中心に立てて摂理して行くのか、それを決定しようとする重大な時であるので、先生の勝手にするのではない(霊界からのメッセージである)と語られている。孝進様の聖和も一周忌を迎えようとしていた。とても心情的に孝進様を思い出される時であった。
「それでは霊界から伝えてきた実相に対する報告をしてあげるのです。訓母様が孝進の報告を読んでください」(同609-128)
しかし、訓母様は現れない。色々とあって、結局は訓母様の霊界報告書が梁昌植氏によって発表される。その内容は一言で言って、亨進様がトップであり、すべてを亨進様を通して行って行くというものである。亨進様後継者体制に対する人事発表であった。この後、お父様は次のように語られる。
「霊界はどう見ていて、部署の責任を持った皆さんはどうみているのか?その意見を言わなければいけないというのです。霊界と地上界、オモニの所見(考え)と全体の所見を中心に私が決定を降ろせば私にああだこうだ言えません。オモニにああだこうだ言えないのです。霊界の事実を知らないじゃないですか。このような報告された内容の事実を知らない人は話すこともできないのです。ですからこの動く事実を説明していきながら知るようになっているのです。オモニが一言いいなさい!オモニの考えはどうしたらいいのかということをです。」(同上609-136)
これは覆すことができない重大決定だとおっしゃっている。それでお母様の所見はどうかと言われる。結局お母様はどのように語られるか。
「残っている子女たちの責任が重要です。皆さんは本体論の講義をよく聞いたでしょう?お父様が一番重要に考えていらっしゃるのは何だと聞きましたか?(絶対性です)絶対性でしょう?(はい)それをおいてみた時、霊界で見ている観点が正しいと思いました。それでそれを中心に最後はお父様が判断して決定してくださるとみています」(同上609-138)
これはお母様が「絶対性に当てはまるのは、亨進様しかいない」ということを遠回しに言われているのである。
しかし実は、この時、霊界メッセージを受けたとされていた訓母様は、「これは私が書いたものではない」と明かしている。訓母様はこの現場にいたが、出て行かなかった。そして郭先生に出会った時に「私は書いていない」と否定した。
(※顯進様はこの時、会場を出られた後で戻っておられる。多くの食口は出られたきり戻って来られなかったと思っている。しかし翌3月9日の御言を読めば、お父様が顯進様に感謝されている。戻ってきて、自分の対面を全部潰されながらも、お父様を立ててくれた顯進に感謝すると言われている。)
顯進様が一度出られた時にも訓母様と出会い、その時にも訓母様は「私は何の過ちもない」つまり自分が書いたものではないと言っている。訓母様報告書、霊界からの指示だとして、お父様も霊界からのメッセージだと思って聞いているのに、訓母様は顯進様や郭先生に「私は書かなかった」と伝えている。これは何を意味しているのか?これは霊界メッセージなどではなく、政治的な動きである。
この事件の背後には誰がいたのか?霊界メッセージを読み上げたのは梁昌植氏である。それで梁昌植氏を問い詰めると、彼は苦し紛れに「真のお父様の指示内容を報告書の形式で整理して真の父母様に差し上げたものだ」(2011年11月20日韓国パイオニアカフェ)と告白した。実は訓母様による霊界からの報告書ではなく、お父様の指示事項をマリオットホテルで一言一句書き取ったんだと、自分はただそれを書いただけなのだと。
ところが実際には梁昌植氏の報告書が訓母報告書に化けて訓読会で発表された。お父様はそのようなつもりで聞かれている。お父様はその内容を霊界の実相と認識して亨進様体制を決定されている。
もしも本当に梁昌植氏が言うように、お父様がご自分で語った内容だったとすれば、すぐにわかるはずである。それを霊界のメッセージだなどとお父様が食口に嘘を言われるはずがない。
したがって誰かがこれをお父様に霊界の実相を記録した訓母報告書、すなわち霊界メッセージとして報告したのである。
結局、この計画の首謀者はお一方以外にはあり得ないのである。梁昌植氏は「真の父母様に差し上げた」と語っている…。
偽の「訓母報告書」で重大決定が成された事件は何を意味するのか?それは、神様と霊界をないがしろにし、お父様の霊的権威を完全に愚弄し失墜させた事件だと言うことである。また同時に、孝進様の聖和に対し切ない心を抱いておられるお父様の心情まで蹂躙した事件である。
こうして亨進様体制が確定され、顯進様は時には山の中にこもられ、本当に神様がご自分に願われる道は何なのかを、神様を中心として決定して行かれる。しかし最終的に顯進様は、亨進様によってUPFの責任まで解雇された。亨進様は自分を世界会長にし、翌日の訓読会でお父様から激怒されている。お父様は「誰がこんな勝手な人事をしたのか」と、亨進様を叱りつけ、「元に戻せ」と言われているのに、この人事もまた、覆されなかった。
しかし公職者に対してはこの内容(お父様が亨進様のUPF世界会長就任に激怒された)がメールで流れた。お父様のみ言を聴いていた責任者が流したのである。しかし直後に、全部削除するようにという指示が上から流れて削除するようになった。誰かが削除せずに持っていれば、今後、証拠として出てくるはずである。
以上のように、この時もやはり、お父様の人事は通らなくなっていた。
2009年1月、天宙史的クーデター。
(1)万王の王神様解放権戴冠式を亨進様の後継者任命式に変える(①2009年1月15日天正宮、②31日天正宮、③31日マンハッタンセンター)
亨進様ご夫妻が真の父母様の背後にぴったりついて歩き、そして王冠を授かるという儀式があったため、これを見守る多くの食口は、「お父様は顯進様ではなく、亨進様を後継者として立てておられるようだ」とこの時感じた。
しかし当時のお父様の御言では、一言も亨進様の名前も、後継者任命ということも出てこない。
ところが金孝律氏は次のように語っている「なぜ彼ら(郭グループ)はそのように開始したのか。亨進様の王冠式から問題が始まった。後継者に対する式から…顯進様は真の父母様の真の相続者となるべき人であると完全に信じていた…。ところが、実際には王冠は亨進様の頭に載った。」(世界指導者会議2010年2月22日)
この金孝律氏の話は、愛の減少感のことを言っている。顯進様が愛の減少感で反逆するようになったという嘘のナレーションをつくって全リーダーと食口に伝えたのである。堕落論を学んでいるので、祝福家庭には非常にわかりやすい。「あぁ、そうなり得るな。顯進様は今まで立派だったけれども、お父様が亨進様を立てたので、愛の減少感からお父様に反逆するようになってしまったのだな。」と。
しかし顯進様をよく知る人から言わせれば、「冗談も休み休み言え」ということである。「そんな顯進様ではない。私だったとしても、この基準は乗り越えられる」。亨進様に愛の減少感を感じたからと言ってお父様に反逆するなど、あり得ない話である。しかし食口にはわかりやすい。
彼らは王冠式でも後継者任命式でもなかったにも関わらず、それは後継者任命式だったのだと、お父様が立てたのだと、言いふらしていった。
サンクチュアリ教会では今、「お父様が後継者に立てたのは亨進様なので、亨進様のもとに来なければならない」と主張している。あまりにもサンクチュアリ教会が繰り返し主張するので、教会側ではそれについてなんと語ったのか?
「その式典はその名称が示すとおり、神様と真の父母様が一心、一体、一念、一核となって「万王の王」として戴冠された式典だったのであって、亨進様が「王権」を継承した式典ではありませんでした。亨進様が真の父母様から「王権」を継承して「王様」になったという話は、今までに聞いたこともありませんでしたし、その事実もありません。…その主役は神様と真の父母様です。決して「王様」の立場が、子女様の代に委譲、継承されたということではありません。」(真の父母様宣布文実行委員会2016年2月9日)
彼らは上の世界指導者会議で、金孝律氏から聞いているはずである。
さらに『統一教会の分裂』(金ジョンソク著)という本にはこのように書かれている。
「お父様の最側近であるWの口からこぼれた話の内幕は次の通りである。お父様は2009年1月1日未明に、亨進様ではなく顯進様が「神様解放圏戴冠式」に王冠を被るようになるだろうと語ったという。この言葉を受けて真の家庭と最側近の幹部はその日、麗水に集まって非常対策会議を開き、お父様の心を変える秘策を立てたという。その秘策とは他ならぬ極端な方法でお父様を圧迫することであった。お母様は真の家庭を破壊して自殺するとお父様を脅かし、真の子女は顯進様が脱線したと説得したという。最側近と高位幹部らは顯進様がお父様の位置を勝手に名乗ると異口同音で語り…」(統一教会の分裂138ページ。敬称を使用)
この本の著者である金ジョンソク氏は、どこの団体にも属さない自由な立場であり、それゆえに幹部の証言も引き出されていて、その内容を本にしている。そしてこれが嘘とは言い切れないことが、その後、起こってくる。
食口の中に、顯進様が堕落したという噂を実際に聞いた人がいるかも知れない。当時、朴珍用氏という弁護士が日本の公職者に伝えた内容は、「顯進様が堕落した」ということであった。その時、当然、顯進様を知っているリーダーは「そんなはずがない、顯進様が堕落したはずがない。どこからそんな情報が出てきたんだ」と問い詰める。すると「お母様が言ったんだ。お母様が嘘をつくはずがないだろう」と答えた。そのうち公職者が良心宣言をするようになれば、そのことも明らかになるだろう。
そしてお母様は韓国で先輩家庭を集めて、涙を流しながら、顯進様が堕落したと語られた。その内容を受け、史吉子先生が「顯進様は堕落した」と韓国全土で言って回った。しかし今、どういう事情だったのか、わかってくるのではないか。
國進様はメディアでも顯進様のことを「堕落したアダム」と言われた。事前に顯進様は堕落したという情報を聞いていた人は、どのように受け止めるだろうか。「顯進様が堕落してしまったのなら、國進様、亨進様で行くしかないではないか」と自然に考えてしまう。
2009年1月25日 お父様が顯進様を呼ばれ、3時間の会談をされる。そして顯進様を叱りつけながら、1月15日の行事は「神様の戴冠式」であることを強調された。「なぜお前は来なかったのか?」と。しかし顯進様はそれが罠であることがわかったので行かなかった。顯進様がいる場で亨進様が王冠を被れば、明確に亨進様が後継者なのだと人々が思ってしまう。しかしお父様は「お前が絶対に来なければならない」と、ひたすら顯進様が来られることを強調された。王冠を被る亨進様がいるのに、「神様解放圏戴冠式」になぜ顯進様がいる必要があるのか?お父様にとって顯進様がいなければ、「神様解放圏戴冠式」はできなかったのではないか。あまりにもお父様が説得されるので、顯進様は罠であることを知りながら、2回目、3回目には参加して行かれた。
その後、お父様は顯進様に何事もなかったかのように、世界巡回大会の開催を要請され、世界摂理の全権を委ねられた。
こうして教権勢力が神様のための摂理的儀式を後継者任命式に変えたことは、神様の摂理を政治的に利用していることを意味している。また、神様に対するお父様の忠孝の偉業を平気で踏みにじることである。そして一部の指導部が全祝福家庭を騙し扇動することを平気で行ったということである。これは動かぬ事実である。
それでは、お母様によって就任した國進様は、就任後にどうされただろうか?
1)財団理事長に就任するや否や郭会長に対する徹底的調査開始
國進様は就任されるや否や、韓国財団の傘下にある企業一つ一つ訪ねて行かれて、郭先生と関係のある領収書、書類をすべて出させて、一つ一つ確認された。会社の社長たちが驚いて郭先生に電話してきたほどである。國進様は徹底的に郭先生を調べて問題を見つけようとされた。
國進様はお父様と一体化し、正しく摂理の方向性に向かっていこうとされていた顯進様の基盤を弱体化させるために、最も邪魔となる郭先生を除去しようとされのである。
そして徹底的に調べた結果、何も出てこないにも関わらず、郭先生に泥棒の濡れ衣を着せた。全世界に向かって郭先生を泥棒として宣伝した。郭先生は「私が泥棒だというなら、いつ、どこで、どれだけのお金を盗んだのか、提示したら良いではないですか?」と言われた。実際、具体的な罪は何一つない。
2)UC指導部による郭先生に対する12回の訴訟。2016年まで行われた訴訟で、すべての訴訟において郭先生が勝訴している。公金を横領した証拠は何もない。過去2度の国税庁の税務調査において郭先生の清廉潔白さは証明されている。調査官自身が「こんな清廉潔白な人は見たことがない。国税庁から賞を貰わなければならない方だ」と言い残している。
郭先生は当時、お父様から信頼され、多くの機関の責任者を任されていた。お父様から見れば、郭先生しか信頼できる方がいなかったのではないだろうか。教権指導部が郭先生を泥棒扱いし、後から攻撃してきたが、どんなに叩いても埃は出なかった。
2007年5月21日-6月9日、「天宙平和神文明開闢宣布 米国巡回大会」において、お母様と顯進様が共に歩まれる期間があった。
お父様の指示は、お父様の御言を顯進様が読み、お母様が顯進様を紹介しなさいということだった。しかしお母様の措置は、顯進様がお母様を紹介し、お母様がお父様の御言を読むということであった。
お母様と現場で争うわけには行かず、顯進様はお母様に譲り、お母様がすべてを主管された。しかしそれを知られたお父様とお母様が激しく対立され、衝突された。それを仲裁しているような立場が顯進様の立場であった。
そしてお父様が顯進様に語られたことは、「これから50年はお前が率いて行かねばならない」「お母様までもお前が責任を持って行かねばならない」ということであった。
この時、お母様がここまで道を踏み外して行かれるとは、顯進様は思っておられなかった。しかしこの時のお父様との約束を、顯進様は今も忘れておられない。
2008年4月16日、訓読会において、お父様が亨進様を家庭連合の世界会長に任命することを決定された。
2008年4月18日、亨進様の家庭連合世界会長就任式。しかしこのことは顯進様には知らされず、就任式は拙速に行われた。当時、顯進様は南米6カ国を巡回中で不在であった。なぜそんなに急いだのか?2006年4月の前例があるからである。お父様がある決定をされたとしても、それが公式化されないと、お父様は指示を変えることが良くあるからである。公式化してしまえば、お父様でも簡単には変えられない。
決定から二日後に世界会長就任式を行い、そして即座に顯進様は副会長から解任された。これはお父様の願いであろうか?子女様たちが協力して御旨を果たしてほしいというのがお父様の願いである。
2008年5月2日、亨進様のW-CARP世界会長就任式。これも前任者である顯進様に知らせもせず、離任式も行わないままに、就任式を行なった。この時、お父様と顯進様は、2008南北米指導者大会で不在であった。
W-CARP本部が閉鎖されると共にSTFも廃止され、顯進様は手足となる人々を失って行かれた。
このような流れがある中で起こったのが、真の父母様のヘリコプター事故である(2008年7月19日)。確率的には90パーセント以上、全員が死亡すると言われる中で、16人全員が生還した。
お父様はこれをとても啓示的に受け止め、警告だと考えられて、三人の息子様を病室
呼ばれた。「三兄弟が兄を中心に一つとなれ」「國進は兄の右腕、亨進は兄の左腕になれ」と話された。顯進様は紙に書いてくださいとか、録音しますからもう一回言ってくださいなどということは考えない方である。いくら紙に書いてもらっても、「お父様がおっしゃったので私に従え」では、真の家庭における真の兄弟姉妹の愛のモデルになっていくことはできない。弟たちが自分を愛し尊敬して従ってくることのできる自分となる努力をして行かなければならないと考えられた。
しかしお父様の願いは明確に上の言葉の通りであったため、お父様は真の家庭を代表して、ヘリコプター事故後の最初のスピーチを顯進様に任せられた。顯進様はお父様に「何を語れば良いでしょうか?」と質問されたが、お父様は「お前は私が言いたいことをよく分かっているではないか?お前が話したいことを話せ、それが私が話したいことだ」と言われた。これくらい、お父様と顯進様は心情的に一体化されていた。
そして顯進様は涙を流しながら、「真の父母様なくして、私のやっていることは何の意味があるのか?」そして「一つのビジョン、一つの目的のもと、一つにならなければならない」と語られた。
しかしヘリコプター事故のわずか10日後、亨進様はお父様の願いに背いて、仁進様を米国の総会長に任命された。
お父様は米国は顯進様に任せ、キリスト教の世界基盤をつないでILCを毎月行っていくように指示されていた。その米国総会長を亨進様は仁進様に変えられた。これは、UCIを通して世界摂理を行っていく、その中心から顯進様を外したということである。これがお父様の指示だったのだろうか?そうではなかった。
仁進様は10年間、お父様と葛藤して、御旨とは関係のない生活をしてこられた方である。
2008年7月29日、お母様の全面庇護のもとに亨進様の名で仁進様を米国総会長に任命した。
しかし実際には、お父様は仁進様を米国総会長ではなく、顯進様の下で牧会を担当する祝司長に任命したのであった。また、仁進様の夫である朴珍成氏は絶対に教会のことに関わってはならないとされた。(7月29日金大陸会長、9月14日顯進様、2009年3月21日朱東文・郭先生がお父様に直接確認)
このことを三度もお父様が語られているにも関わらず、このお父様の指示は完全に無視され、仁進様が米国総会長として実権を握り、基盤を揺るがしていったのである。
食口はあまりにも簡単に考え、お父様の指示に従っていれば、お父様はもう一度、顯進様を立てられたはずだ、というが、これを見れば、お父様の人事というものはすでに通らなくなっていたのである。いくらお父様が指示されたとしても、実質的な人事権は理事会が握っていたのであり、そこでお父様を無視することが既に起こっていたのである。それを私たちははっきりと知らなければならない。
顯進様はお父様の信頼を受けて、摂理の道を歩まれていたので、突然、顯進様を追い出すということはできない。彼らは顯進様の基盤を少しずつ剥いでいって、顯進様に対抗する教権グループを形成していく。
汝矣島パークワンプロジェクトの真実攻防(2006.2〜4月)。汝矣島のプロジェクトに関しては、元々お父様が郭先生に任せておられた。
1)2006年2月9日、郭先生の下で責任を持っていたポール・ロジャースを國進様が訪ねて行って、激しく衝突。殴り合いになりそうなくらいであった。國進様はポール・ロジャースを郭先生の手下と見て、追い出す方向に動こうとされていた。そして彼を真の子女様を尊重しない者としてお父様に報告した。お父様は國進様の報告を信じられ、「とんでもない奴だ」と郭先生に対しても怒られ、郭先生を外されてしまう。
2)2006年2月12日、郭先生が外され、國進様が責任者になる。ところがその後、ポール・ロジャースが長文の手紙を、お父様と郭先生と國進様に送った。お父様はその手紙を全部読まれて、真の家庭の家族会議を開かれ、その場にポール・ロジャースと國進様、顯進様、郭先生、すべて呼ばれて事情を全て把握され、國進様が嘘をついておられたことを知り、國進様に激怒された。
3)2006年4月23日、再び顯進様と郭先生がパークワンプロジェクトを担当。
この内容は非常に重要な示唆を与えている。お父様が一度決定されたとしても、正しい情報を知った時には、お父様はいつでも決定を変えることがあるのだということ。食口は、お父様は一言一句、一切間違いを犯さないと思っている。だから指示に絶対服従していくのだと考えているが、多くの先輩家庭は、「お父様はこういう報告を聞いたら、こう言う。またこういう報告を聞いたら、コロッと指示を変えてこう言う」そういうお父様を明確に見て来られている。
2006年4月17日、顯進様がUCI理事及び韓国財団理事長に就任された。そして國進様は副責任者として立てられた。
4月17日夜、お母様は韓国財団理事長職を國進様に譲るように顯進様に迫られた。顯進様は「お父様の決定に従いましょう」と仰ったが、頑として聞き入れられないお母様であり、譲らなければその場から絶対に去られず、世をふかしてずっと居すわるという迫力であられた。「もしもこのまま、お前の下でということなら、國進が離れてしまうので、韓国財団理事長の職は國進に与えてくれ」。それで顯進様はお母様と三つの約束を天の前にしてくださいとお願いする。1)國進様が汝矣島パークワンプロジェクトに協助すること、2)真の家庭の兄弟間の秩序を正しく立てるようにすること、3)國進様がヨンピョンなどCCの内容を正確にお父様に報告すること。お母様はその場で天の前にこの三つのことを約束された。顯進様はお母様を信じられた。そして最後に「お父様の裁可をもって決定しましょう」と言ったが、お母様はお父様には裁可を求められず、そのまま國進様を財団理事長に任命していく。
2006年5月8日、國進様は韓国に赴き、財団理事長に就任。
ところが、お父様が「國進様を財団理事長に任命したことはない」と仰った、ということに関して、アレハンドゥロという南米食口(お父様の通訳でヨーロッパに随行)が申東謀氏に送ったEメールが暴露されている。
「会長、國進様のビデオを見て思い出したことですが、スペインでお父様が何度も「私は國進を理事長に任命したことはない」と語られていました。もちろんお父様のこのような発言は秘密として守りますが、3〜4回もそう言われただけに意味があるのでしょう。」(2011年6月16日、アレハンドゥロ氏が申東謀氏に送ったEメール)
このように、「真の父母様に絶対信仰、絶対愛、絶対服従しろ」とさんざん言ってきた教権指導部のリーダーたちが、お父様の指示を秘密として守り、無かったことにする、しかも、それが「もちろん」となっているのである。
2006年8月10日に顯進様がお父様に送られた手紙がある。
「重要なのは私でも國進でも亨進でもありません。天の御旨が成就されるか否かです。真の父母様の真の家庭が正しく立つかどうかです。お父様、私はお母様と争いたくありません。兄弟とも争いたくありません。しかしこのまま放置しておいたら、長期的に見た時、神様の御旨とお父様が生涯を投入しながら築いた基盤が摂理の最終目標に向かっていくことができずに、全て崩れてしまうことでしょう」
この時すでに、この危険性について顯進様は悟っておられ、予言的な言葉を手紙に記されている。
「私は今、どうすれば良いのか分かりません。進退両難に陥りました。お父様もご存知の通り、國進は私が最も信頼していた弟です。私が幼い時に興進兄と國進と共に育ってきたではありませんか。私は國進を信じ信頼しました。私は國進がこのように行動するとは夢にも思いませんでした。過去1年間に、このような状況が起こり、私の心情はあまりにも大きな打撃を受けました。今そのように近しく過ごした弟と正反対でぶつかっている状況です。この分裂はお母様が國進を支持したことと共に、お父様が4月に下した決定を覆すなかでさらに悪化しています。」
この手紙を通して、お母様が天の前に約束した、その約束を守られなかったことが分かる。そしてお父様が顯進様をUCI理事長に立てられ、韓国財団理事長をも主管するようにされ、汝矣島パークワンプロジェクトもすべて顯進様が主管して行かれるように託された、その内容をお母様によって覆された、という状況であったことが分かるのである。
序
多くの食口はこの天宙史的葛藤が、郭先生が引き起こしたものだとか、お父様と顯進様の関係性の問題であるとか、顯進様と他の子女様の間の問題であるという風に捉えている。
しかしそうではない。これは、神の創造目的を成就しようとする神様と、神の創造目的成就を妨害しようとするサタンとの「天宙史的葛藤」なのである。
「天宙史的」という言葉は、霊界まで含めた概念であり、神の摂理において重大かつ決定的な影響を及ぼす葛藤であるということである。
サタンの立場からすれば、どうすれば神様の創造目的を台無しにすることができるか、ということである。否定することのできない勝利をお父様が収めてしまった。ではどこを攻撃すれば、神様の創造目的を妨害し、台無しにすることができるか?
それは、神様、真の父母様、長子と続く、お父様の正統な長子を追い出し、潰してしまえば、真の父母様の勝利圏すべてを台無しにすることができる。メシヤの使命は創造目的の完成であり、それは真の家庭の完成である。だからサタンの動きは間違いなく長子を攻撃することであり、子女様たちを一つにして行かなければならないお母様の責任分担を果たすことができないようにすることであった。
長子を追い出すことがなぜ、天宙史的な問題であるのか?
お父様は、もっとも相応しい資格と正統性を備えた顯進様を摂理的長子の座に立てられた。1998年7月19日のように、誰もが分かるように表現され、「三代が立ったことは天宙的事件である」と語られながら、明確に示されたのは後にも先にもない。
誰かが不義なる動機と目的を中心に何の咎もない顯進様を追放したなら、これは神の摂理を妨げ破壊した最も重大な過ちである。
正にこのような理由により、過去7年間に発生した統一家の混乱を「天宙史的葛藤」と言うのである。
この天宙史的葛藤をみつめる観点として、絶対に人間的観点で見てはならない。誰かが政治的な目的ゆえに主張していると見るのではなく、どうすれば摂理的長子が正しく立ち、三代の縦的な軸が立つことで真の家庭が地上に顕現し、全世界を救っていくことができるかということである。神様の御旨とお父様のレガシー(業績)である真の家庭を守っていくという原理的・摂理的観点で考えて行かなければならない。
本来、お父様が立てられた統一教会の文化というものは、誰かを批判したり、悪口を言ったりするものではない。それで、私たちが「天宙史的葛藤」ということで、話し始めると、「誰かを批判するのは良くない」とか、「そういうネガティブなことは聞きたくない」という人も多くいるだろう。
しかし、私たちが「天宙史的葛藤」を振り返る必要がある、その理由がある。
例えば病気にかかったとするなら、病気の原因、本質を知らなければならない。そうしてこそ、本質的治療が可能になる。
同様に、「天宙史的葛藤」という凄まじい葛藤が起こってしまったとするなら、私たちはその本質を知らなければならない。しかしながら現在、多くの嘘とデマが蔓延している。それでこの嘘やデマを見抜けずに、単純に顯進様とお父様の葛藤とか、真の家庭の兄弟間の葛藤という風に簡単に考えてしまっている。そうではない。葛藤の本質を正しく知ってこそ、根本的な解決が可能になってくる。