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約束の大地

私自身は顯進様が摂理的長子であられると確信しています。 しかし、顯進様お一人ではなく、神様を中心として真の家庭の四位基台がなされてこそ実体的天一国の出発を成すことができます。 真の家庭理想の復活のために、祈りを込めて書きたいと思います。

皆さんの特権と神様の期待。

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皆さんの特権と神様の期待。

顯進様のみ言抜粋

『定着時代のためのリーダーシップ・パラダイム』(米国・ベリータウン、2001年4月20日)より

 

考えてみてください。もしキリスト教が、真の父母様を受け入れていたら、統一教会を創る必要があったと思いますか。神様は2000年間、キリスト教を準備してこられたのです。キリスト教には、頭の良い人たちや心情の良い人たち、そして準備された人たちがいたのです。しかし、キリスト教の基盤が失われたため、そのような人たちもすべて失ってしまいました。それでは、お父様が統一教会を創るとされた時、どこから始められたでしょうか。社会の底辺層に行かなければならなかったのです。イエス様は、王の王として来られたのではなかったでしょうか。旧約聖書の預言が暗示しているように、イエス様は準備されたイスラエル民族とユダヤ教の基盤の上に、王の王として来られるはずだったのです。しかし、この基盤が失われると、その宣教対象は、こじきや最下層の人たちに移っていったのです。

 

私が皆さんに、「教会に入る前は何をしていたか」と尋ねたら、恐らく多くの人が、自分がいかに重要な人物だったか、例を挙げて説明することでしょう。しかし、正直に自問してみてください。私は皆さんが、どれほど重要な人物であったかよく解りません。自分で考えるとき、重要な人だったのでしょう。けれども、社会との関連で見たら、どういう人だったのでしょうか。アメリカ人のメンバーが、こういうことを聞きたいかどうかは分かりませんが、私が時々、メンバーに会う時、彼らは頭だけ大きいと感じます。時には、彼らの頭は大きすぎて、どうやって真っ直ぐ歩けるのか分からないほどです。彼らは、立て肉体的には真っ直ぐに歩いているとしても内的には真っ直ぐ歩くことができないでいるのです。

 

皆さんは神様の選民として、真のアベルが意味することを理解しなければなりません。皆さんがここに集められているという事実が示すものは、神様の摂理において、重要な役割を遂行しなければならない特権が与えられているということなのです。皆さんが、それをもらう資格があろうがなかろうが、この特権は、皆さんに与えられたものなのです。特権とは、その中にすでに期待が含まれているということです。皆さんは、その期待が何なのかを理解しなければなりませんし、自分に如何なる欠点や困難があったとしても、その期待に答えるために、最善の努力をしなければならないのです。

 

私の言っていることは正しいですか、間違っていますか。もしキリスト教が責任を果たしていたら、皆さんが今座っている席は、宗教、政治、ビジネス、学問など、あらゆる分野における最高のキリスト教指導者で一杯になっていたはずです。真の父母様が、本来準備されていた、キリスト教の基盤を受け継いでいれば、その席は、最高の潜在能力を持った、世界の若いリーダーで一杯になっていたのです。ですから、皆さんが父母様を代身して、神様の摂理を自分の肩に担う機会が与えられているという事実は、他の誰にも与えられていない、とてつもない特権なのです。この偉大な任務を引き受ける人は、歴史的重要性を持った人物になるのです。

 

(『神様の夢の実現』124~126ページ)

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顯進様が2001年に米国で行われた21日特別指導者修練会で語られたみ言を紹介しています(4回目)。前回は、真の家庭理想を見失った時、統一運動は歴史のちりと消えてしまうということで書きました。今回のみ言は、カットせずに紹介しました。非常にわかりやすいみ言です。

 

もしもキリスト教がお父様を迎えていれば、お父様の弟子には最高の心情や能力を持った方々がなっていたことでしょう。マザーテレサやキング牧師など、すでにこの世の中で長子権を持った人々です。そういう方々が「真のアベル」としての責任を担っていたとしたら、どれだけ立派なリーダーになっていたでしょうか。そして祝福を受け、個人として家庭として完成していく人が、弟子の中にも現れたことでしょう。

 

そういうことを考えたときに、祝福中心家庭に対する神様の期待というものは、どれくらい大きなものだったでしょうか。

 

顯進様は、「特権」と「神様の期待」あるいは「任務」をセットで語られています。私たちの中でも、祝福を受けた時に、その「特権」だけを喜び、「神様の期待」や「任務」を担う責任を自覚する人が少なかったと思います。つまり「責任分担」です。

 

全体目的から考えたときには、地上天国を実現するために、私達祝福中心家庭が果たすべき使命というのは、かなり背伸びをし、かなり飛躍しなければ果たせないものです。ニューヨークヤンキースのエースの代わりに、甲子園で初戦敗退の高校球児が登板しているようなものだからです。

 

また、個体目的(個人の救いと完成)から考えても、祝福というものは、責任分担を果たせば完成に至ることができるように道が開かれた、というだけであって、責任分担を果たさなければ救いも完成もありません。

 

この「責任分担」(「神様の期待」、「任務」)を理解していなかったところに、様々な混乱が生じています。祝福二世が無原罪だと到底思えないとか、祝福家庭なのに酷い家庭だとか、清平に通ってばかりいるとか、献金ばかりしているとか、教会にばかりいて家にいないとか…。人間の責任分担には神様は絶対に干渉なさらないため、責任分担それ自体を果たさない限り、何も良くなりません。

 

私たちは「特権」に感謝する以上に、「責任分担」に目覚めなければならないですね。



責任分担を果たそう! おー!!


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