私自身は顯進様が摂理的長子であられると確信しています。 しかし、顯進様お一人ではなく、神様を中心として真の家庭の四位基台がなされてこそ実体的天一国の出発を成すことができます。 真の家庭理想の復活のために、祈りを込めて書きたいと思います。
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近頃サンクチュアリ教会のブログ村を探索していますと、亨進様の説教でも食口の方々のブログでも「自給自足」ということが語られています。それで不思議に思って先駆者さんの「Be Natural」というブログのコメント欄でやり取りしていたところ、わざわざ「天一国建設の足掛かりとしての『自給自足』」という記事を書いてくださったため、私のブログでも取り上げさせていただきたいと思います。
まずは「天一国建設の足掛かりとしての『自給自足』」で引用されている亨進様、國進様の「自給自足」に関するみ言から、その意味を私なりに要約させていただきます。
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お父様のみ言の中に、「恐ろしい…韓国がなくなります。アジアがなくなります!世界がなくなります!死んでみなさい。先生は嘘は言いません。わかりますか?」(2011年天暦8月4日~7日 天情楼にて)というものがある。これは具体的な天災や紛争などの審判がやってくるということで、亨進様は今年は49年に一回訪れるシュミタ(安息年)で、審判がやってくると語られている。そして審判の後で天国を「建設」する。その「建設」の意味は文字通りゼロから手作りで村(共同体)を創り、さらに国を創っていく。最終的には自給自足を中心としてサタン世界(既存の国家権力)から独立した状態を目指す。政府をあてにしない。食物を作り、建物を立て、電気や水道を通す技術を習得することなど、具体的に準備する。そして世界のいたるところに自給自足のサンクチュアリ共同体を建設する計画である。
----(以上、要約終了)----
続いて、以下は「自給自足」について語られた亨進様、國進様のみ言です。(引用元は同じ)
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≪亨進様のみ言≫
天国の再建に取りかからなければなりません。審判の後どのような天国を建設すべきか。神様の御心を地上に現わすこと。
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よくよくお父様の生活を見れば生活の大部分を自然の中で過ごされていたのです。ネバダのミード湖で灼熱の太陽のもとで、あるいは3メートルの波にも揉まれながら、またあるときはワニや大蛇がうようよいるアマゾンのジャングルで、お父様はいつも荒野や大自然の中に入って行かれました。天聖経には「わずかなお金でも快適に豊かに暮らせる」というみ言があります。これは自主独立による生活、神様から賜ったもので天一国市民として生活し成功し前進するか教えて下さっているのです。
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「税を取られ(政府の世話を受け)なくても、自給自足で自分の家族を養うことはできる」と国進兄さんはいいます。税は人から強制的に奪い取るものです。基本的に「窃盗」です。とくに所得税には問題があります。だからいかにすれば私たちのコミュニティーがサタン世界の助けを受けずに自立して生きていくことができるかが問題になります。サタン社会に依存する度合いが大きくなればなるほど主管される可能性も大きくなります。
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ゆっくり始めて徐々にサタン社会の枠から独立していけるようにするのです。それを様々な階層で考えることです。弁護士、会計士などのグループはこうした人々が会社を立ち上げるための法的な方策を考えるのです。週一回ビデオを見るだけではなく、世界のそれぞれのサンクチュアリで自立した実際の共同体を作っていくのです。自給自足の共同体づくりです。若者が身につけるべきスキルで重要なものは大工仕事、配管、電気工事だと国進兄さんは言っています。家を建てる手伝いをするときこれらが必要です。将来多くの人が来るようになる時、家の断熱材、配線工事などの基礎工事を手伝えるようにしなければなりません。このようなことを論議し意識して雰囲気づくりをすると神様の見えざる手が働いて、そのような専門的知識、技術を持つ人たちがやってくるというのです。
≪國進様のみ言≫
青年について一言私から述べたいと思います。まず青年は「行動」を強く意識して下さい。共同体として何をすればいいのか。それについてはすでに述べましたが、「自給自足」と「政府を当てにしない」こと、そして「お互いに援助し合うこと」が大切です。二世の若者たちには政府を当てにせず自立、自給自足をいかに成すかについての実践を進めてほしいのです。様々なものを栽培し、家を自分達で建てたり-みんなで集まってお互いの家を作りあっていく-こういう二世のグループがあってもいいと思います。そのような「実践」「行動」を通して共同体を形成するのです。自由になること。自給自足と独立。これをもとに共同体を作っていくことです。
----(以上、引用終了)----
さらに、「日本サンクチュアリ教会青年部ブログ」にも審判と自給自足に関する亨進様のみ言(質疑応答の応え)が載っていましたので、引用します。
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韓国はお父様に従わないと半分以上なくなると、日本もお父様に従わないと半分以上なくなると、お父様が語られています。…(中略)…そのような状況の中で私たちはどうすればよいかというと、貯蔵できる食料品、水を蓄えるということです。…(中略)…自然に帰れ、山へ行けといろいろな人が啓示を受けています。準備することは悪いことではありません。ヨハネの黙示録にも信徒の多くが首を切られて死ぬだろうとあります。戦争、震災、天災だけではなく、特にキリストに侍る人をターゲットにして迫害をしてくるでしょう。…(中略)…黙示録を見ると7年の中間に、獣の印とあります。何らかの印がつけられるようになります。それがマイクロチップか他のものか分かりませんが、それを付けられる人は地獄に落ちるとあります。このような獣の印が何なのか、免許証に載るのか分かりませんが、それを受けると、健康にいいとか売り込まれる、となっています。…(中略)…例えば、アーミッシュは社会システムに入っていませんが、アメリカ政府はなんとか、社会に入れようとしています。私たちが自給自足をしようとすると、キリスト教徒と出会いが出てきます。お互い自由に農業を出来るようにしています。…(中略)…サタンのシステムは滅びるようになるから、脱出することにより自立していく。
----(以上、引用終了)----
以上を踏まえて、私が感じるところを簡潔に述べたいと思います。
第一に、原理講論の終末論によれば、基本的に聖書で言っているところの、この世が滅び、新天新地が建設されるというのは、具体的な天変地異によるものではなく、「主権の交代」を意味するはずです。私達は既存の国家や世界を滅ぼしてから天一国をゼロ(自給自足)から創る必要はなく、その方向性を変えていくことで天一国を創建しなければならないのではないでしょうか?
第二に、強烈な教派主義を感じます。二代王である亨進様に従いサンクチュアリ教会に「所属」する者が善なる者たちであり、天国に行けるかどうかは、そのような「所属」によって決定されるという考え方ではないでしょうか?自分たち以外の世界を「サタン視」あるいは「敵視」しています。そしてその人々のために生きるのではなく、「独立」或いは「あてにしない」という方向性をとろうとしています。また、国家に税金を納めることは「搾取」されているのでも「窃盗」されているのでもなく、社会貢献です。定着時代は宗教宗派の壁を超えていくべきですが、逆に高い壁を築こうとしているように見えます。
第三に、お父様のみ言や摂理観との連続性がなくなって来ています。どちらかというとキリスト教徒が聖書の文字に縛られていた状態に似ていて、終末観が極端です。お母様の問題を中心として摂理が延長されたにせよ、お父様が後天時代を宣布されたことは事実です。一体、どこまで摂理が後退すれば「自給自足」のアーミッシュのような生活が必要になるのでしょうか。
このように、私にはサンクチュアリ教会がどんどん特異な宗教団体になっていくように思え、「自給自足」思想はその表れであると感じます。ここ数回、私も記事に書かせていただいた「摂理的クーデター」が事実ならば、それは悪神の業です。悪神の業は時間の経過と共に、それと分かるようになってきます。
お父様のレガシーは、「自給自足」ではなく、真の家庭であり、それを拡大することで人類一家族世界を実現するということです。正しい神様のみ旨の前にすべての祝福中心家庭がアラインすることでしか、一つになる道はありません。
読者の皆様はどのように感じられたでしょうか?
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前回まで、顯進様が21歳の時に語られたみ言を紹介してきました。今回は一休みということで、私の考えを述べたいと思います。「是々非々」ということについて書きます。
「是々非々」と言えば、言わずと知れた「火の粉を払え!」の米本さんですね。それから、「火に油を注げ!」の鞍馬天狗さんも「是々非々」のスタンスをとられています。私は「是々非々」は統一家にとって非常に重要だ!と感じます。
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是々非々の意味
〔weblio辞書〕
一定の立場にとらわれず、良いことを良いとして賛成し、悪いことは悪いとして反対すること。
〔四字熟語データバンク〕
良いことはよいこと、悪いことはわるいことと、公正無私に判断すること。道理によって正しく判断する態度をいう。
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人間は責任分担を完遂することで完成するというのが原理ですから、本来、どんな宗教を信じ、どんな組織に属しているのか、ということ以上に、どれだけ責任分担を果たしたのかということが重要であるはずです。
霊界に向けた肉身生活の意義を考えてみても、霊人体の成長と完成のためには、ために生きる真の愛の実践がなければならず、どの宗教、どの組織、ということが一番の本質ではないはずです。
私は、再臨主である真のお父様に出会い、統一教会(家庭連合)に属してきたけれども、果たしてどれだけ真の愛を実践して生きてきただろうか?このことが問題ですよね。
お父様は「君たちは霊界に行ったとき、先生に会えるかな?」と語られました。統一教会で長年献身して歩んできた人が、実はお父様から遠く、かえって地上ではお父様と出会えなかった人でも、必死に世の中を救おうと犠牲になった人であれば、霊界でお父様と直通する可能性がある訳です。
現在、統一家の混乱を見ていると、私たちの信仰観の幼さが現れているように感じます。私たちの運動の中でこれまで沢山の過ちが犯されてしまった状況で、より「正しい側」を探し、そこに属そうとすることは、ある意味で当然のことと言えるかも知れません。しかし、どちらに属するかで救いが全て決定するかのような錯覚は「サタンの放つ矢」であり、警戒しなければなりません。
「自分は正しい側に属している」と信じている食口が、そうでない側に属している食口を見下げたり、口汚く罵るとすれば、たとえ実際に正しい側に属していても、その食口自身は救われていないのではないでしょうか? 霊界に入っていく時に尋ねられるのは、「どちらに属しましたか?」よりも「どれだけ愛しましたか?」だとお父様は教えてくださいました。
「どちらに属するか?」が重要だったのは、荒野時代の観点だと思われます。とにかくお父様にしがみついて、不信せず、離教せずに行くことが重要だったかも知れません。しかし定着時代に入り、所属よりも、「中身」「文化」「生き様」すなわち実体が重要な時代ではないでしょうか?
今まで私たちの運動内において、所属に重きを置いたことで、その組織や運動体を無条件に善の立場だと見なしてしまい、沢山の悪が見逃されて来ました。しかし実体が重要な時代においては、「是々非々」の観点が不可欠です。
何故なら、たとえ正しい側に属していたとしても、その組織の中でさらに、「良いものは良い、悪いものは悪い」として原理的な実体を目指して、改善、改善を繰り返す必要があるからです。
また、定着時代は私たちだけでなく、この世の中に神様が準備した多くの人々とパートナーシップを結んでいかなければなりません。その際にも、「是々非々」の観点は重要です。当たり前のことですが、真の父母を知らなくても、私たちより立派な人は立派だし、よほどみ旨に適った個人や団体は存在するのです。「こちらは神側、あちらはサタン側」という傲慢な感覚は、関係性構築を阻害します。
ですから、統一教会ブログ村に、「是々非々」という観点を持ち込んでくださった方々に感謝ですね。
私自身は顯進様が摂理的長子だと確信し、顯進様を支持していますが、いつも「是々非々」の精神を忘れずに自分自身を反省し、また、他者の中に尊敬できる点を見出すことを忘れずに、歩んでいきたいと思います。
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前回まで8回にわたって顯進様が19歳の時に語られたみ言を紹介しました。今後も継続して顯進様のみ言を紹介させていただきますが、今回はみ言に関してはちょっと祈る時間をいただき、「お母様に対する顯進様の姿勢」ということで書きます。
まずは、お母様が今年の2月24日に語られたみ言を『パシセラのブログ』から抜粋して引用します。
----(引用開始)----
このキリスト教2千年の歴史は平坦ではあり得ませんでした。中心を知りませんでした。天の摂理を知らなかったのです。全て枝葉です。独生子の位置は残っています。それゆえお父様は16歳の時にイエス様から独生子の位置を引き継がれたのです。皆さんはそのことを明確に知らなければなりません。だとすると、お父様はその位置から再臨メシヤになるのではありません。責任があります、責任分担。…(中略)…
私が生まれた時にサタンが現われて私を殺そうとしました。「お前が生まれることによって私が死ぬようになった。亡びるようになった。だから私はお前を生かしておくことができない。殺さなければならない。赤ん坊よ。この堕落した世界の最後に神様が探すべき独生女だからだ」というのです。この言葉は、私は堕落と関係ない立場、即ち4千年間にわたるイスラエル民族の蕩減摂理を通じてイエス様を誕生させたように、私もまたそういう立場で生まれたので原罪がないのです。…(中略)…
お父様は何故以北に行けと言われたのでしょうか。さっきも話しましたが、責任分担です。…(中略)…
基元節は誰が開きましたか。お父様が語られ準備しましたが、最後のオープンは誰がしましたか。誰がした?人間が無知であることによって天は見せることができることを沢山準備しました。宇宙の母になる方は韓氏でなければならないので、そう準備したのです。そういう機会が整ったら皆さんに明らかにするつもりですが、しかし今はしません。
----(引用終了)----
上のお母様のみ言は、突き詰めれば以下のような意味になりますよね?
「お父様は生まれた時から再臨主でもなく、イエス様と出会って再臨主になったのでもない(つまり生まれた時は原罪があった)。しかしお母様は生まれた時から無原罪で、独生女である。お父様はお母様と出会うという責任分担を果たして再臨主になられた」
私はこのようなお話は、間違っていると思います。今、お母様と家庭連合の進んでいる道は、間違っています。お母様は元の位置に戻ってくださらなければなりません。
しかしながら、サタンは原理を振りかざし「お前は間違っている」と批判する存在です。私の中にもお母様に対してそういった心が湧いてくることがあります。これは、サタンの罠だと思います。
少し前ですが、『パシセラのブログ』に顯進様の姿勢がどのようなものかが分かる記事がありましたので、引用させていただきます。
「お母様を裁いてはならない」
----(引用開始)----
文顕進会長は、「お母様を裁いてはならない」と繰り返して語られています。いつか、これを多くの人たちに向けて伝えなければならない、と思っています。
これは、韓総裁にこの7年の混乱の源があった、という事がわかる段階において必要な言葉です。わからない段階においては、よく統一教会で聞く「お母様を批判してはならない」と同じように聞こえるかもしれません。
混乱の源が韓総裁にあったとわかったとしても、「お母様を裁いてはならない」という話です。
また、文顕進会長は、「裁くのは己れの未成熟さの表れだ」とも語られます。
----(引用終了)----
私の中にも裁きの心が湧いてくることがありますが、顯進様の姿を見て、正されます。あらゆる誤解に何の弁明もされず、涙を流しながら家族の状況に責任を持とうとされる姿です。ある時、涙を流しながら、「家族とは、何ですか?」と問いかけられました。家族は、永遠の霊界まで共に行かなければなりません。いつかは一つのところに集まり、共に笑えなければなりません。
天国は家族で入るところだと、お父様は教えてくださいました。お母様が間違えた道を歩まれるほど、共に苦しまれる家族としての宿命を持っているのが、お父様であり、子女様たちでいらっしゃいます。私たちも、カインの子女であるとは、そういうことではないでしょうか?
お母様は、お父様の妻であり、子女様たちの母親です。現在、統一家が三つに分かれてしまっていますが、どの立場に立っているにせよ、そのことだけは分かっていなければならないと感じます。
「家族とは、何ですか?」
これは今、統一家全体にとって必要な問いかけではないでしょうか?
家族であることを思い出した食口はクリック!!