私自身は顯進様が摂理的長子であられると確信しています。 しかし、顯進様お一人ではなく、神様を中心として真の家庭の四位基台がなされてこそ実体的天一国の出発を成すことができます。 真の家庭理想の復活のために、祈りを込めて書きたいと思います。
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今回は晩年のお父様について少し書かせていただきます。
①2009年頃(み言葉選集613巻)のお父様のみ言
最初に、『文鮮明先生み言葉選集』に記録されているお父様のみ言です。
「一番の問題が何かというと、真の父母の精子が定着できるか、これなんだね。
先生は離婚したよ。お母様を中心として天の息子娘だと捧げることができる息子娘も私のように7年、21年、40年苦労をしなければならないんだね。その峠を越えられなかったよ。」(613巻127ページ)
このみ言はみ言葉選集の番号から、2009年頃のみ言であるようです。
②2012年7月16日、アベル女性UN創設大会におけるみ言
次に、お父様が地上における最後の大会で講演文の合間に挟まれたコメントです。
「オモニを私が育ててきたよ。オモニはいません。文総裁の妻の位置もいません。自分勝手にやっている!!自分勝手に。ん。」
動画(55秒)は以下のURLです。
https://www.youtube.com/watch?v=4TXf_fjnYvc
お父様は「勝利した世界的な女性代表である真の母に侍り・・・」と、真の母について講演文を読み上げながら、その途中で「オモニはいません」というコメントを挟まれました。
つまり、神様が願う「真の母」に対する本来の期待する姿があるものの、実際の韓鶴子お母様は、少なくともその神様の期待通りにされてはいらっしゃらないことを表明されています。オモニでも妻でもないというのですから、全否定と言えるでしょう。
③2012年7月24日(?)の訓読会でのご様子
次にパシセラさんの「親子の絆」という記事より引用させていただきます。
ただし、パシセラさんは先日、過去の記事を削除されてしまいましたので、元記事は残っていません。(早めにコピーしておいて良かった!)
----引用開始----(※太字と色は大地がつけました。)
文顕進会長の元に集っている皆さんには、やはり特別な体験を持っておられる人が多い、と感じています。
天正宮で7月末(24日?)に、文先生が最後の長い(20時間以上)の訓読会をされた場におられた人がいます。わずか30人くらいしか参加していなかったとのことです。
文先生は最後まで訓読会を終わろうとせず、しまいには、引っ張り出されるかのようにされて、部屋から出ざるを得なかったのだそうです。そのシーンに、とてもショックを受けた人に会いました。
文先生はその頃にはもう「統一教会は滅んだ。そのように伝えろ。」と警護の人に伝えるような状況になっていたのだそうで、そのようなことを知っている人たちの話をつなげると、病院に収容されるまでの文先生の姿が浮かび上がってきます。
----引用終了----
④2012年8月3日、最後の訓読会におけるみ言
「すべてを壊したオンマと金孝律は責任を取りなさい」
「顯進なくして基元節はあり得ない」
(訓読会に参加した方の報告)
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以上の内容をお読みになり、皆様はどのように感じられるでしょうか?
祝福家庭の中で、誰も真の父母様と真のご家庭を非難することの出来る資格のある者はいませんので、私達が、「自分が正しい」とか「あっちは間違っている」などと言い合うことも、本当の意味で摂理を前進させることにはならないだろうと思っています。私達は真の愛の方向に向かわなければならないはずです。
しかしながら「愛と真理」はよくセットで語られるものです。ですから真の愛に向かう一方で、「真理」という側面においては、何が真実だったのかはいずれ明らかにならなければなりません。真の家庭と統一家の中枢において一体何が起こったのかということについての真実は一つです。ただし、それが分かったとしても、誰も裁くことはできません。
そのような前提で、上に引用したみ言が何を意味するかを考えてみたいと思います。
初めに、2009年には、お父様はすでにお母様と「離婚」されたと言及されています。真の父母様の夫婦だけの間での会話でなく、訓読会の公的な席、み言が記録され歴史に残るその席で、お父様がお母様との「離婚」に言及されざるを得なかったということは、どういうことでしょうか?「離婚」は最終の中の最終手段です。2009年にはすでに、混乱の「芽生え」ではなく、結論を下すような状況だったということです。
ちょうどこの時期に当たる2009年9月以降の『み言葉選集』は発行されなくなりましたし、それ以前の22巻分の『み言葉選集』も回収され書き換えられたということは、周知の通りです。「離婚した」と最終的な言及をされるまでの期間に、どなたかが『み言葉選集』を書き換えなければならない程、そしてその後は発行すら出来ない程、お父様は様々なことを語られていたはずです。
3年後の2012年7月16日、お父様はわざわざ大会の場で「オモニはいません。文総裁の妻の位置もいません。」と語られました。通常、このような話は中心的な子女様と幹部だけが知れば良い摂理の秘密です。その方々が心に留めて従えば良い話です。それをお父様は大衆とテレビカメラの前で明らかにされるしかありませんでした。
そして7月24日(?)には、訓読会で、自由が拘束されその場から引っ張り出されるお父様の姿が目撃されています。
以上のことを見た時、2009年~2012年までの期間、最も近い方々によって、お父様は尊重されていたと言えるでしょうか?
2012年8月3日、お父様が地上で最後に訓読会をされたその日は、お母様の下で亨進様が世界会長、そして國進様が財団理事長として責任を持たれていた時です。そんな時にお父様がすべてが壊れている状態だと表明されたということは、何を意味しているでしょうか?
基元節の必要条件は真の家庭の一体化です。お父様が亨進様を「代身者、相続者」とされたことが、もしも「摂理的長子」という意味であるならば、最低限の真の家庭の四位基台は成されていたはずです。しかし「顯進なくして基元節はあり得ない」と語られたのは、父子協助時代の中心人物である摂理的長子の不在を意味するのではないでしょうか?
……晩年のお父様は、よく泣かれた、号泣された、という話を聞きます。最も近い方々が摂理的に怨讐のようになってしまいました。それでもお父様は最後の瞬間まで真の愛を注いでくださったと思います。
このようなお父様のために、最も多くの涙を流された方は顯進様だし、その遺志を引き継いだ方も顯進様だと、私は思います。
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現在、統一家が大きく三つに分かれていますから、この記事を読まれる方々も、大きく三つの立場があるでしょう。共通してるのは、みんなお父様を愛しているということです。違っているのは、何が起こったのかに関する認識です。皆様が信じておられる内容でもって、上に引用したお父様のみ言に説明がつくかどうか、考えていただければ幸いです。
アージュ!!