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約束の大地

私自身は顯進様が摂理的長子であられると確信しています。 しかし、顯進様お一人ではなく、神様を中心として真の家庭の四位基台がなされてこそ実体的天一国の出発を成すことができます。 真の家庭理想の復活のために、祈りを込めて書きたいと思います。

「先駆者の道を歩みながら…」

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コメント

1. 再度試してみます

コメントしようとしましたが、初めはできなかったので、自分のブログに掲載しました。

2. URLに記入したためエラーになった様です

あらためまして、こんにちは。
何度も失礼しました。

こちらにコメント載せました。
http://ameblo.jp/88angelvoice/entry-12178806118.html

Re:URLに記入したためエラーになった様です

先駆者さん、ありがとうございます。

先駆者さんのブログの方にコメントさせていただきました。

3. お手数おかけしました

わざわざこちらに来させてしまい、すみませんでした。
細かく丁寧に答えてくださり、どうもありがとうございました。

ただいまコメントを受けつけておりません。

「先駆者の道を歩みながら…」

顯進様のみ言抜粋

『世界平和統一家庭連合 世界副会長就任の辞』(米国・ニューヨーク、1998年7月19日)より

 

私のご父母様(※注)は、3年前に世界平和統一家庭連合を設立されるまで、言葉では表現できない苦痛の十字架を背負ってこられました。息子として私は、ご父母様がどれだけ多くの犠牲を払って来られたかをよく知っています。私のご父母様は、嘲笑や根拠のない非難中傷に耐えなければならず、更にはご父母様が必死に助けてあげようとした人々の手によって、投獄されたこともありました。

 

私は、父がダンベリー刑務所に入るために、イースト・ガーデンの家を出発された日のことを、今でも鮮明に記憶しています。当時私は、まだ14歳でした。最初は父の悪口を言い、その次には投獄までしたアメリカに対して、どれほど怒りを感じたかを覚えています。しかしその時、父はむしろ「この犠牲を通して、神様がアメリカにさらに天の祝福を下さるだろう」と祈祷されながら、私や私の兄弟姉妹を慰めてくださいました。

 

この世の中で、誰も私のご父母様が耐えなければならなかったほどの迫害を受けた人はいないでしょう。しかし、ご父母様はいかなる恨みや悪意も持っていません。先駆者の道を歩みながら、ご父母様は誠実に、そして果敢に、今日、ここにいる私達すべてのために道を開いてこられたのです。残念ながら、この道は血と汗と涙の代償によってなされたのです。

 

(※注:「私のご父母様」という翻訳は少し不自然に感じますが、英語の原文は”my parents”です。)

(『神様の夢の実現』99~100ページ)

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顯進様が29歳の時、家庭連合副会長就任時に語られたみ言を紹介しています(2回目)。前回は真の家庭の重要性と、その真の家庭を守るために「サンドバッグ」になられた顯進様、ということで書きました。

 

今回は非常に有名でもあり、感動的なみ言を抜粋しました。このみ言の背後にある心情については、私が何か言うとかえって水をさす感じがしますので遠慮しておきます。

 

それで今回は、何気ない表現の中にある顯進様のお父様を見つめる観点について書きます。

先駆者の道を歩みながら、ご父母様は誠実に、そして果敢に、今日、ここにいる私達すべてのために道を開いてこられたのです。」

 

ここで顯進様はお父様のことを「先駆者」として表現されています。「メシヤ」というのは「先駆者」だと言っています。

 

「メシヤ」、「再臨主」、「万王の王」などお父様に対して様々な呼称が可能かも知れませんが、最もシンプルで本質的な呼称は「真のお父様」です。要は「お父さん」です。

 

ならば私達は「息子・娘」として、「お父さん」の歩みを受け継いでいかなければなりません。「先駆者」という表現は、お父様と私達の関係性の中で、そのような側面が強調されています。

 

いくつかみ言を引用します。

 

イエスが、人間祖先として、メシヤの使命を負うて来られたのも、サタン屈伏の最終的路程を開拓し、すべての信徒たちをその路程に従わせることによって、サタンを自然屈伏させるためである。(原理講論後編第二章第一節(一)より)

 

もし、あなたも私のように愛するならば、私はあなたに、栄光の王冠を捧げましょう(『栄光の王冠』より)

 

この私は針であり、皆様は糸のようなものである。糸は針にくっついていなければ着物を縫うことができない。針だけいくら通っても駄目だ。で、針も重要であるけれども、糸もまた重要であるという事実を皆様は、はっきりと認識していなければならない。皆様と私が一緒になって、針と糸との関係を結び、そして破れているこの国、あるいは世界という「着物」を修繕しなくてはならない。(『み旨と世界』108ページ

 

このようにお父様御自身も自らを「先駆者」という観点で明らかにされていますし、原理講論もそのことを説明しています。さらに「針と糸」のたとえで言えば、針としてのお父様だけがいても、それに続く糸としての私達がいなければ、「針だけいくら通っても駄目だ」とまで語られています。私達が後に続かなければ駄目なのです。

 

このようにお父様は「お父さん」であり「先駆者」であるので、「息子娘」が後に続かなければどうにもならない、というのが原理ではないでしょうか。

 

「メシヤ」、「再臨主」、「万王の王」などと強調しすぎるあまり、本質的関係は親子であることを見失うと、お父様と私達が意識の中で切り離されてしまいます。いわゆる神格化です。お父様に似ようとする責任分担を忘却してしまいます。

 

イエス様には子女がいなかったため、誰も息子・娘の立場からメシヤを見つめることができず、聖書の中には神格化されたメシヤ観が強調されています。そのような聖書を通してお父様を見つめる、ということにも、落とし穴があります。

 

お父様のダンベリーの精神は、私達の生活圏に実体化されなければなりません。私達がその道に従い、サタンを克服するために開いてくださった道です。



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コメント

1. 再度試してみます

コメントしようとしましたが、初めはできなかったので、自分のブログに掲載しました。

2. URLに記入したためエラーになった様です

あらためまして、こんにちは。
何度も失礼しました。

こちらにコメント載せました。
http://ameblo.jp/88angelvoice/entry-12178806118.html

Re:URLに記入したためエラーになった様です

先駆者さん、ありがとうございます。

先駆者さんのブログの方にコメントさせていただきました。

3. お手数おかけしました

わざわざこちらに来させてしまい、すみませんでした。
細かく丁寧に答えてくださり、どうもありがとうございました。

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