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約束の大地

私自身は顯進様が摂理的長子であられると確信しています。 しかし、顯進様お一人ではなく、神様を中心として真の家庭の四位基台がなされてこそ実体的天一国の出発を成すことができます。 真の家庭理想の復活のために、祈りを込めて書きたいと思います。

「真の愛の化身」か「教団発展のための戦士」か。

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「真の愛の化身」か「教団発展のための戦士」か。

今回から久しぶりに、顯進様のみ言を紹介していきます。

顯進様のみ言抜粋≫

『コア・バリューで武装しよう』(第3回W-CARP国際教育カンファレンス閉会の辞、韓国・牙山、2003年7月11日)

仮に、CARPメンバーが全て、何らかの理由で口が利けなくなり、話すことができなくなったとしましょう。そうだとしても、私は単に話すのが上手なCARPメンバーよりも、口が利けなくてもコア・バリューを実体化しているCARPメンバーと共に仕事をするでしょう。なぜだか分かりますか。政治家や外交官、弁護士のように話はうまくても、実際にコア・バリューを実体化できないメンバーより、口は利けなくてもコア・バリューを実体化しているメンバーの方が、私たちの価値観や信念のより良い証し人となるからです。…(中略)…もし皆さんが、コア・バリューの主人になったとすれば、コア・バリューを言葉でただ説明したり、教える能力よりずっと大きい効果をあげることでしょう。なぜなら皆さん自身が、まさにコア・バリューが持っている意味についての生きた証となるからなのです。…(中略)

皆さんが人々を動かし、行動へと駆り立てることができたら、それは彼らの心情と感性を動かしたからです。彼らが信じ始め、自分の人生を投入できるようになるのは、知的理解の領域を超えたものによるのです。それが彼らの霊魂を刺激し、彼らに意義と目的を与えたからです。コア・バリューを通して皆さんは、人々の霊魂を感動させることができるのです。

私達がCARP内にコア・バリューを中心としたリーダーシップの文化を築き上げれば、アベル圏を代表する主体的な立場に立つことができると思いませんか。私たちが、カイン圏世界である外部世界を引っ張っていくことができる能力を、備えるようになると思いませんか。…(中略)…従って、コア・バリューを実体化すればするほど、皆さんは自分のCARPセンターで、どれほどの大きな効果を上げることになるかに気付くようになるでしょう。

(『神様の夢の実現』205~207ページ)

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顯進様が2003年にW-CARPの国際教育カンファレンス(IEC)の閉会式で語られたみ言の抜粋です

「コア・バリューを実体化する」とは、一体、どのようなことでしょうか?コア・バリューの最初の項目は「より大きな善のために生きる」です。例えば、ガンジー、キング牧師、マザーテレサ、このような方々に共通していたものは、正に、「より大きな善のために生きる」ということに一貫していたということではないでしょうか。もちろん真のお父様も完全にそのような人生を歩まれました。そのような生き方が、多くの人の心に感動を与え、その心情を突き動かし得たということです。


コア・バリューの二番目、三番目、四番目の項目は「オーナーシップ」「チームワーク」「ドリーム・ビッグ」です。このようなコア・バリューを実体化して生きることを、お父様は平和メッセージの中で、
「真の愛の化身になりなさい」と語られています。

私たちの統一運動(特に日本)を見た時に、まずは、そのような人材を育てることにフォーカスしていませんでした。原理を知識として教育しますが、心情を育てられません。また、組織に従順な人に教育する側面が強く、「より大きな善のために生きる」ことに一貫して人の心を動かせる人を育てられませんでした。個人は家庭のため、家庭は社会のため、社会は国家のため、国家は世界のため、と広がっていかなければなりませんが、それが教団内でストップする傾向がありました。宗教団体が陥りがちな、教団の発展がみ旨の発展(最高の善)だと考えるようになったということです。結果、献金できる人、献金を出させることができる人はたくさん作りましたが、それが必ずしも「より大きな善のために生きる」人を育てることにつながっていませんでした。「真の愛の化身」ではなく「教団発展のための戦士」を量産してきました。


(もちろん、そのような統一教会全体の文化の中にあっても、お父様のみ言に相対し、指導者や教会によっては、あるいは個人によっては、そうではない方向へとしっかり向かっていた、というケースも稀にあるのでしょうけれども。)

「より大きな善のために生きる」という言葉は、実はこのような統一教会の文化に対する警告であり、挑戦であると、私は思います。この一つの言葉で、食口個人から教会全体までの在り方をすべて点検することができます。しかし多くの食口が「ああ、ために生きる、でしょ」という感覚でそれを聞き流していたようです。

実際、一般社会から見た統一教会の姿はどのようなものでしょうか?「ために生きる」と語りながらも、「結局は、あなたたちの団体が大きくなるためでしょ?献金のためでしょ?人を増やすためでしょ?」と見られているのではないでしょうか。実際私は、統一教会を良く知るある人物が「俺は、『ために生きる』は実は結構好きなんだけどなぁ…(統一教会は実際にはそうなってないよね)。」と言っているのを聞いたことがあります。このように見られているのは、世の中が偏見を持っているからではなく、統一教会の実情をある程度正しく評価したものであり、私たちの責任です。

そのように考えれば考えるほど、「より大きな善のために生きる」というコア・バリューに一貫した指導者やメンバー、そして組織を築いていくことが、カイン圏からの信頼を得て、正しいコミュニケーションを確立する最高の武器になるということです。

そのことを顯進様は、(雄弁に語る人よりも)口は利けなくてもコア・バリューを実体化しているメンバーの方が、私たちの価値観や信念のより良い証し人となる」と語られています。

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