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約束の大地

私自身は顯進様が摂理的長子であられると確信しています。 しかし、顯進様お一人ではなく、神様を中心として真の家庭の四位基台がなされてこそ実体的天一国の出発を成すことができます。 真の家庭理想の復活のために、祈りを込めて書きたいと思います。

復帰時代は終わりを告げ、新しい定着時代が始まろうとしている。

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復帰時代は終わりを告げ、新しい定着時代が始まろうとしている。

顯進様のみ言抜粋

『相続と発展』(日本・仙台、2000年5月5日)より

 

今まで、私達は復帰時代に生きてきました。「お父様が統一教会を創設されたのは必然的なことであったか」と聞かれれば、皆さんはどのように答えますか。…(中略)…神様の目的は、真のお父様を通して統一教会を作ることではありませんでした。お父様はすでに準備されていたキリスト教の基盤の上に来られるはずだったのです。…(中略)

 

韓国ではわずか100年で、キリスト教がこれほど繁栄したのはなぜでしょうか。それは、お父様が来られるための基盤を準備するためでした。だからこそ、韓国はアダム国家の位置にあるのです。韓国には、選ばれた国としての特有の資質がたくさんあります。…(中略)

 

お父様は「もし、1945年に韓国のキリスト教が私を受け入れて一つになっていたならば、私は世界的なキリスト教の基盤の上に立っていたはずだった」と語られました。…(中略)

 

小国であった韓国と、大国であるアメリカとのつながりは非常に深かったのです。もし韓国のキリスト教がお父様を受け入れていたならば、お父様は容易に世界的なキリスト教の基盤の上に立たれることができたはずです。

 

しかし、実際はどうなったのでしょうか。…(中略)…すべての基盤が失われてしまったのです。お父様は、韓国の国家的基盤とキリスト教の世界的基盤の上に立つことができず、基盤もなく、たった独りで出発されるようになりました。このようにして、統一運動の歴史が始まり、統一教会が生まれるようになったのです。

 

統一教会は40年の荒野路程を通して、聖書歴史の6000年を再蕩減しなければなりませんでした。ですから統一教会は、お父様が立たれることのできる世界的な基盤を再び作るため、変化を繰り返さなければならず、とてつもない犠牲を払わなければならなかったのです。それで日本が世界的宣教を支えるために、非常に多くの努力を費やしたのではないでしょうか。皆さんの中でも、特に復帰時代からの心の傷や荷物を背負っている人も多いでしょう。しかし、真の父母様の勝利的基盤によって、聖書歴史6000年を再蕩減する復帰時代は終わりを告げ、新しい時代が始まろうとしているのです。

 

(『神様の夢の実現』104~109ページ)

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今回から、顯進様が30歳の時、『相続と発展』ツアーで語られたみ言を紹介します。

 

今日の引用部分は顯進様が当時頻繁に語られたテーマであり、統一教会が最も分からなけばならない内容でありながらも、実際にはなかなか理解することが難しかったものではないかと思います。いわゆる荒野時代(復帰時代)から定着時代への「パラダイム・シフト」(発想の転換)についてです。

 

顯進様が語られているように、統一教会の創設は必然的なものではなく、本来は世界的なキリスト教の基盤の上に立たれるべきお父様でした。しかし摂理の失敗によってすべての基盤が失われたために、いわば仕方なく創設されたものが統一教会です。そして真の父母様の勝利圏によって復帰時代が終わり、新しい定着時代が始まったということは、1945年に本来準備されていた摂理的状況に戻ってきたということを意味します。

 

ここで、革命的と言って良いほどの発想の転換が必要でした。荒野時代に身につけた統一教会的観点の多くを捨てなければなりません。もしも1945年にキリスト教がお父様を受け入れていれば、お父様は教会の数的基盤を求める必要は全くありませんでした。それはすでにあったのです。必要だったのは「神の下の人類一家族」という崇高なビジョンの下にすべての人々を糾合して天国を実現することでした。

 

「荒野時代の観点」とはどういうものかを私なりに考えた時に、一つ思いあたる経験があります。ある時、統一教会の信仰に前向きになれない一人の二世(男子、高校生)がいました。私は彼に「君にとって統一教会とはどんなところなの?」と質問をしてみました。彼は何と答えたかというと、「うーん、ひたすらお金と人を集めているところ(苦笑)」と言いました。「……確かに」。これは、高い理想を掲げてはいても、実際にはほとんどの活動が自分たちの団体を大きくするためのものでしかなく、社会的価値がほとんどない、ということです。

 

こういった組織の体質や文化は荒野時代の迫害の中、生き残ることに必死だった状況において身に付いてしまったものではないでしょうか?そして社会から嫌われる原因の多くは、こういう荒野時代の体質や文化にあるように思います。社会的価値を創造する以上に、お金と人を血眼になって集め続けたために嫌われてしまったこと…心当たり、かなりありますね。

 

真理は非常にシンプルであり、真にために生きる存在は歓迎され、自己中心は嫌われるということですね。

 

また、「社会と隔絶している」ということを言ってくれた方もいました。これもまた然りです。荒野時代にはすべてが敵に思えるほどの迫害を受け、自分たちだけがみ旨を成そうとしているという感覚が強くありました。そしてその意識が過剰になれば「世の中を見くびる」という文化にもつながっていました。しかし定着時代というのは1945年当時のように、世界中の多くの人々がみ旨のために準備されている状況です。社会と隔絶している場合ではなく、共通のビジョンの下に、共に歩んでいく必要があります。

 

これは脳みそを一度取り出し、洗濯機で洗ってもう一回入れ直すくらいの発想の転換ではないでしょうか?しかしそのことを通して新しい展望が開け、本当に希望的な摂理の段階に入ってくことができるはずです。


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