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約束の大地

私自身は顯進様が摂理的長子であられると確信しています。 しかし、顯進様お一人ではなく、神様を中心として真の家庭の四位基台がなされてこそ実体的天一国の出発を成すことができます。 真の家庭理想の復活のために、祈りを込めて書きたいと思います。

摂理的歴史の理解と真の自我。

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1. 無題

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Re:無題

ACEof-BASEさん

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摂理的歴史の理解と真の自我。

顯進様のみ言抜粋

『私の国の統一と氏族的メシアの使命』(米国・ニューヨーク世界宣教本部、1991年1月1日)より

神様は、人間が責任分担を果たすことによって、神様の完全な対象になるという理想を持っておられました。人間は真の愛の基準を立て、神様と授受作用をするための基台を立てなければなりませんでした。ところが、アダムとエバは神様のみ旨を破り、サタンの基準を受け入れ、サタンを中心とする四位基台を造ってしまったのです。このような非原理的行動をしなければ、地上には既に理想世界が成就されていたはずなのです。私たちは現在、復帰摂理時代を生きており、神様の理想が成就されていないこの世界を、再創造するべき責任があります。このことをもっとはっきりと理解するには、歴史を見なくてはなりません。摂理的歴史を理解しなくては、真の自我を発見することはできません。…(中略)

 

今日、真の父母様が来られた理由が、まさにここにあるのです。イエス・キリストの勝利を、この世で実体化することにより、霊肉共の完全な救いをなすためです。

 

第二次世界大戦の直後、真の父母様がこの世を復帰できる基盤が造られていました。もし韓国のキリスト教が1945年に、真の父母様を受け入れていれば、全世界の復帰は、それから7年以内で完了されていたと、お父様は言われました。・・・(中略)

 

しかし、悲しいことに、韓国のキリスト教は真の父母様を受け入れなかったという事実を私達はよく知っています。それゆえにお父様は、人間の肉的救いの基盤を再び立てるために、孤独な道を歩まなければなりませんでした。・・・(中略)

 

お父様は1960年に、真のお母様との御聖婚によって真の父母の位置を立てることができたのです。・・・(中略)・・・その基盤の上に、初めてこの世界が完全に復帰できるのです。・・・(中略)

 

祝福は、神様が人間に与えることができる最も貴重な贈り物です。祝福によって、神様は皆さんの血統を、真の父母の真のオリーブの木の根に接ぎ木されるのです。この祝福の基盤の上で、皆さんは自分の先祖と後孫まで救いを受けることができる道が開かれるのです。

 

(『神様の夢の実現』54~57ページ)

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今回から、1991年の真の神の日に、当時21歳の顯進様がお父様から願われて語られたみ言を紹介していきます。この日に発表された年頭標語は「私の国の統一」でした。顯進様はこの標語を氏族的メシアの使命と関連付けて解説してくださっています。今回はその導入の部分です。

 

今回抜粋した部分のように、顯進様はよく神様の創造理想、人間の堕落、復帰摂理歴史という歴史全体の流れを解説してくださいます。そのような時、私たちは何となく、当たり前の話を何度も聴かされているような感覚でいます。(私だけでしょうか?) しかし実は、私たちがよく分かっていないから顯進様は何度も説明されるのだと思います。

 

顯進様は、「摂理的歴史を理解しなくては、真の自我を発見することはできません。」と語られていますが、これは何を意味しているのでしょうか?顯進様に直接質問したわけではありませんが、私の考えを述べます。それはつまり、自分自身を、自分の側から見るのではなく、神様の側から見なければならない、ということだろうと思います。

 

以前、ある牧会者の方が、「原理はこっち側からではなく、あっち側から見なければならない」と深みのある表現をされていましたが、同じことだろうと思います。もう少し詳しく述べます。

 

例えば、私自身は昔フラフラ生きていたところに、突然神様の側から声をかけられてこの道にやってきて、祝福までいただきました。しかし神様の側からすれば、創造理想を描いて天地創造に着手し、しかし人間の堕落によってその理想が破られ、絶望の中から決意して6000年の復帰摂理路程を歩んで私を探し出したということです。それを私は知りませんでした。 それだけでなく、4000年歴史の結実であったひとり子イエス様を殺害され、さらに2000年後に送られた再臨主はキリスト教から荒野に追い出されました。さらに第一のエバが奪われ、第二のエバも奪われ、ようやく第三のエバを探し出して祝福の歴史が始まりました。しかしその祝福をいただいた私は、そのような痛みを知らずに喜んでいました。

 

ですから、「こっち側(私の側)からではなく、あっち側(神様の側)から見なければならない」ということですね。そのような摂理的歴史(神様の歴史)を知らなくては、神様にとって私は一体何者で、何を果たさなければならないかが分からない、ということだと思います。

 

私自身、かつて祝福を授かって「これで救われた」と私の立場で喜んだ訳ですが、神様の側からすれば、実はそれはゴールではなく果たすべき使命の出発でした。顯進様はそのように強調されます。長い長い摂理歴史を歩んで来られた神様にとって、その時の私の姿がどれ程物足りないものであったのかと、反省させられます。「おい、そこで安心して休むな!」とひっぱたきたかったでしょうね。

 

今、「どちらの聖酒を飲むのか?」というような話題があるかと思いますが、その後に果たすべき使命こそが、もっと重要なのだと思います。



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1. 無題

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Re:無題

ACEof-BASEさん

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