私自身は顯進様が摂理的長子であられると確信しています。 しかし、顯進様お一人ではなく、神様を中心として真の家庭の四位基台がなされてこそ実体的天一国の出発を成すことができます。 真の家庭理想の復活のために、祈りを込めて書きたいと思います。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
≪顯進様のみ言抜粋≫
『定着時代のためのリーダーシップ・パラダイム』(米国・ベリータウン、2001年4月20日)より
イエス様の本来の使命は何でしたか。一言で言うと…(中略)…実体的な真の家庭を築くことでした。それは、他の家庭が接ぎ木されることができる、真の愛と真の生命と真の血統を蘇生させるという意味です。
しかし、イスラエル民族はそのことを理解できませんでした。…(中略)…彼らがイエス様の行動を見、また、そのみ言を聞いた時、彼らの心の中に、「一体、この人が、どうして神の子になることができるか」という疑問が湧いてきたのです。彼らは、イエス様が、自分たちと同じ人ではないということを理解できなかったのです。…(中略)
イエス様は神様のみ旨とみ言を実現しようとしました。しかし皮肉にも、イエス様の降臨のために作られた伝統及び契約が、イスラエル民族がイエス様を受け入れることを妨げるつまづきの石となったのです。
それでは、キリスト教徒がお父様を受け入れるのを妨げる、つまづきの石は何ですか。キリスト教神学と伝統ではないですか。キリスト教神学は思弁的です。イエス様は亡くなられたので、理論上のものにならざるを得ないのです。イエス様は理想家庭を築かれることも、実体的な伝統を打ちたてられることもできませんでした。また、家庭の中に実体的な文化を創られることもできなかったのです。それで超越的キリスト論(High Christology)が主流になったのです。…(中略)…それで私は皆さんに、同じ質問をするのです。「お父様のレガシーは何ですか。真の父母様のレガシーは何でしょうか」。お父様は統一運動の創始者であり、ワシントン・タイムズの創設者であり、あれこれの機関の創設者だということが、お父様が残されたレガシーですか。神様はそんなものに関心を持たれると思いますか。
お父様が神様を解放できたのは、地上に最初の真の家庭を創って、アダムとエバの本来の使命を成就することができたからです。その土台の上に、地上人のみならず霊界人まで、すべての復帰を実現することができたからです。それが、真の父母様がなされた偉大な業績なのです。
(『神様の夢の実現』127~129ページ)
-------------------------------------------------------------------------------
顯進様が2001年に米国で行われた21日特別指導者修練会で語られたみ言を紹介しています(6回目)。前回は、祝福中心家庭に対する神様の期待に応えているのか、そして、神様・父母様・ご家庭から信頼される私になっているのか、ということで書きました。
今回のみ言は、「メシヤの使命とは何か?」という重要なテーマについてです。結論を言えば、メシヤの使命とは、真の家庭を完成することで、真の愛と生命と血統を実体化させることです。そうすることで全人類がそこに接ぎ木され救われる道が開かれるのです。
イスラエル民族がユダヤ教の伝統によってイエス様につまづくようになったというのは非常に皮肉なことですが、今日においてもキリスト教神学と伝統が、キリスト教徒がお父様につまづく原因を作ってしまったということです。
イエス様は実体の真の家庭を築けず、直系の子女を遺されることができませんでしたので、キリスト教神学は実体的なものというよりは思弁的なものとなり、次第に超越的キリスト論が主流になりました。イエス様が水面を歩いたとか、奇蹟で病人を癒したとか、肉身をもって復活されたとか、ペテロの裏切りを予言した、などのエピソードを中心にイエス様を理解したため、メシヤであるイエス様が超人的な、ほぼ神様に等しい存在としてイメージされるようになりました。
それに対して、イエス様は一人の人間であり、完成したアダムとして来られた方だったということを明らかにされたのがお父様です。イエス様にも、困った事情や心情があったし、弟子たちの協助がなければどうしようもないことが沢山あったのです。そして、アダムが成せなかった真の家庭を地上に実現されるために来られたのです。
私たちも、お父様に対する理解が、キリスト教のメシヤ観と混ざってしまっていることが往々にしてあります。お父様のことを超人のように見つめてしまっていたのです。
今から一か月ほど前だったと思いますが、2008年頃に起こった「摂理的クーデター」に関して、私が、当時お父様が周囲の人々の周到な嘘の報告によって騙されていた、ということを書くと、「お父様のメシヤ性を否定するのですか?」と言う方がいらっしゃいました。
つまりその方は、お父様がまるで私達の心を完全に読んでいらっしゃるかのようなエピソードがとても印象的で、そういったお父様の超人的な能力が、お父様のメシヤたる所以だと思っていらっしゃったようです。確かにそういった体験談は沢山あります。
しかし一方で、お父様も普通の人間のように、分からないことや勘違いもあるのだな、という場面に遭遇したという方も多くいらっしゃいます。
お父様のメシヤたる所以は、超人的な能力にあるのではなく、真の血統をもって来られたというところにあります。そして真の家庭を成して下さったということです。
超人的な能力では、人類を根本的に救うことはできませんが、仮に超人的能力が一切なくても、真の家庭さえ成して下されば、人類救済は可能なのです。
このような内容は、聖書からは理解することができません。
ところで、ここからは私個人の考えになりますが、皆様は、「お父様に欠点はあると思うか?」と聞かれたなら何と答えますか? 私は「お父様にも欠点はある」と答えます。(堕落性ではなく、欠点です。)
何故なら、お父様にも個性はあるからです。個性は陽陰のバランスによって形成されます。ということは、お父様も優れた部分と優れていない部分をお持ちだということです。
「先生は誰にも負けない」というみ言は、お父様の気合の表現であって、実際にすべての分野、すべての面において誰よりも優れているということはあり得ません。すべてが優れているというのは、逆に言えば個性がない、ということです。
ですから、メシヤであり、完成したアダムでいらっしゃるとは言え、私達と同じ一人の人間でいらっしゃるお父様を、周囲の人々がどれくらい誠実に支えていくのか、ということは、摂理の勝敗を大きく左右したはずです。逆に言えば、周囲が不誠実であれば摂理は大いに失敗し得るということです。
また、真の愛は偽りに対して当面は弱い、ということもあります。神様も真の愛によってサタンを自然屈服させようと歩まれ、6000年かかりました。嘘、偽りに対して「疑うのですか?それが真の愛ですか?」と言われれば黙るしかありません。真の愛は、最後には勝つでしょうが、当面は弱いのではないでしょうか?
サタンはそういうところに付け込んで、「摂理的クーデター」を起こしました。
その時は、「真の家庭理想」が完成されていくか否かの、伸るか反るかの時だったのですが、結局、摂理は延長されています。しかし、まだ終わってはいません。なぜなら摂理的長子がしっかりと踏みとどまっておられるからです。
お父様にも欠点があると思う人はクリック!
ないと思う人はダブルクリック!!
≪顯進様のみ言抜粋≫
『定着時代のためのリーダーシップ・パラダイム』(米国・ベリータウン、2001年4月20日)より
今日の世界では、自分のアイデンティティと運命を、自分で選択できるという間違った考え方が蔓延しています。皆さんは、これが如何に間違っているか、傲慢な考えであるのか実感できないことでしょう。皆さんは自身のアイデンティティの問題において、どんな選択の余地がありますか。…(中略)…自分には如何なる選択権も持つ事ができなかったということです。…(中略)…ですから、自分を如何につくっていくか、という質問は適切ではありません。それよりもむしろ、私は何のために生きるべきかと質問すべきです。この質問を深く自問してみれば、皆さんの魂と良心と通してこのように答えがあるでしょう。「私は、自分の生活の中だけでなく、周囲の世界で、神様のみ旨を実体化しようと努力しなければならない」
私はあるメンバーに、教会に入った理由を尋ねてみました。なぜそうしたかと言うと、それが何のために生きているのかという質問に直結するからです。皆さんは何のために生きていますか。もし皆さんが、神様のみ旨を忘れたら、もはや信仰者ではありません。もはや、カインである世界に対して、アベルの位置に立っていないということです。そうであれば、もはや真の父母様の弟子でもなく、真の家庭の一員でもないのです。
このような立場で皆さんは、神様が信頼できる人にならなければなりません。神様が皆さんを信頼できるようになったら、次は真の父母様が信じることができる人にならなければなりません。そして、そうなることができたら、今度は真の家庭が信じることができる人にならなければならないのです。私たちの信仰が、神様と真の父母様、真の家庭を中心軸として決定されるのであれば、拡大された真の家庭の一員となるためには、誰の信頼を得なければなりませんか。この質問が、皆さんが真の父母様と真の家庭を信じるか否かになってはいけません。真の父母様と真の家庭が、皆さんを信頼できるかどうかという質問になるべきなのです。なぜなら神様の摂理は、その軸を通して伝達されるからです。
(『神様の夢の実現』126~127ページ)
-------------------------------------------------------------------------------
顯進様が2001年に米国で行われた21日特別指導者修練会で語られたみ言を紹介しています(5回目)。前回は、私たちに与えられた特権に満足するだけでなく、神様からの期待を自覚し、応えていくべきであるということで書きました。
今回のみ言で、顯進様は最初にアイデンティティのお話をされています。アイデンティティというものは自分で決定するものではなく、天によって定められるものです。私達祝福中心家庭のアイデンティティは、神様の期待にどれだけ応えているのかというところにあるはずです。
家庭盟誓の一節で、「天一国主人、私達の家庭は真の愛を中心として、本郷の地を求め、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建することをお誓い致します」と唱えています。このような誓い(神様の期待)を基準として、いつも私自身の価値を認識しなければならないと仰っているのだと思います。
信仰暦や組織の中での位置、周囲の評価によって自己満足、自己陶酔している場合ではなく、「地上天国を成したのか?それはどこまで進んだのか?そのために今、何をやっているのか?」と常に自分に問いかけなければならない、ということですね。
そのような意識や心情を持って生きていくことが、「私は祝福中心家庭だ」ということであり、「真の家庭の拡大家庭の一員だ」、「世の中に対してアベルだ」ということだ、と仰られているのだと思います。
次に、顯進様のもう一つのご指摘は、私が神様、父母様、ご家庭を信じるか否かではなく、神様、父母様、ご家庭が私を信じられるかが重要なのだ、ということです。…非常に高い世界です。
このような信仰の世界は、歴史時代に一度も存在しなかったものだろうと思います。お父様が初めて開いてくださった「神様の実子」という世界です。しかし定着時代となった今、このようなお父様や顯進様の信仰が、私のものになって行かなければならないのだと思います。
今日も非常に、目を覚まされるみ言でした。
≪顯進様のみ言抜粋≫
『定着時代のためのリーダーシップ・パラダイム』(米国・ベリータウン、2001年4月20日)より
考えてみてください。もしキリスト教が、真の父母様を受け入れていたら、統一教会を創る必要があったと思いますか。神様は2000年間、キリスト教を準備してこられたのです。キリスト教には、頭の良い人たちや心情の良い人たち、そして準備された人たちがいたのです。しかし、キリスト教の基盤が失われたため、そのような人たちもすべて失ってしまいました。それでは、お父様が統一教会を創るとされた時、どこから始められたでしょうか。社会の底辺層に行かなければならなかったのです。イエス様は、王の王として来られたのではなかったでしょうか。旧約聖書の預言が暗示しているように、イエス様は準備されたイスラエル民族とユダヤ教の基盤の上に、王の王として来られるはずだったのです。しかし、この基盤が失われると、その宣教対象は、こじきや最下層の人たちに移っていったのです。
私が皆さんに、「教会に入る前は何をしていたか」と尋ねたら、恐らく多くの人が、自分がいかに重要な人物だったか、例を挙げて説明することでしょう。しかし、正直に自問してみてください。私は皆さんが、どれほど重要な人物であったかよく解りません。自分で考えるとき、重要な人だったのでしょう。けれども、社会との関連で見たら、どういう人だったのでしょうか。アメリカ人のメンバーが、こういうことを聞きたいかどうかは分かりませんが、私が時々、メンバーに会う時、彼らは頭だけ大きいと感じます。時には、彼らの頭は大きすぎて、どうやって真っ直ぐ歩けるのか分からないほどです。彼らは、立て肉体的には真っ直ぐに歩いているとしても内的には真っ直ぐ歩くことができないでいるのです。
皆さんは神様の選民として、真のアベルが意味することを理解しなければなりません。皆さんがここに集められているという事実が示すものは、神様の摂理において、重要な役割を遂行しなければならない特権が与えられているということなのです。皆さんが、それをもらう資格があろうがなかろうが、この特権は、皆さんに与えられたものなのです。特権とは、その中にすでに期待が含まれているということです。皆さんは、その期待が何なのかを理解しなければなりませんし、自分に如何なる欠点や困難があったとしても、その期待に答えるために、最善の努力をしなければならないのです。
私の言っていることは正しいですか、間違っていますか。もしキリスト教が責任を果たしていたら、皆さんが今座っている席は、宗教、政治、ビジネス、学問など、あらゆる分野における最高のキリスト教指導者で一杯になっていたはずです。真の父母様が、本来準備されていた、キリスト教の基盤を受け継いでいれば、その席は、最高の潜在能力を持った、世界の若いリーダーで一杯になっていたのです。ですから、皆さんが父母様を代身して、神様の摂理を自分の肩に担う機会が与えられているという事実は、他の誰にも与えられていない、とてつもない特権なのです。この偉大な任務を引き受ける人は、歴史的重要性を持った人物になるのです。
(『神様の夢の実現』124~126ページ)
-------------------------------------------------------------------------------
顯進様が2001年に米国で行われた21日特別指導者修練会で語られたみ言を紹介しています(4回目)。前回は、真の家庭理想を見失った時、統一運動は歴史のちりと消えてしまうということで書きました。今回のみ言は、カットせずに紹介しました。非常にわかりやすいみ言です。
もしもキリスト教がお父様を迎えていれば、お父様の弟子には最高の心情や能力を持った方々がなっていたことでしょう。マザーテレサやキング牧師など、すでにこの世の中で長子権を持った人々です。そういう方々が「真のアベル」としての責任を担っていたとしたら、どれだけ立派なリーダーになっていたでしょうか。そして祝福を受け、個人として家庭として完成していく人が、弟子の中にも現れたことでしょう。
そういうことを考えたときに、祝福中心家庭に対する神様の期待というものは、どれくらい大きなものだったでしょうか。
顯進様は、「特権」と「神様の期待」あるいは「任務」をセットで語られています。私たちの中でも、祝福を受けた時に、その「特権」だけを喜び、「神様の期待」や「任務」を担う責任を自覚する人が少なかったと思います。つまり「責任分担」です。
全体目的から考えたときには、地上天国を実現するために、私達祝福中心家庭が果たすべき使命というのは、かなり背伸びをし、かなり飛躍しなければ果たせないものです。ニューヨークヤンキースのエースの代わりに、甲子園で初戦敗退の高校球児が登板しているようなものだからです。
また、個体目的(個人の救いと完成)から考えても、祝福というものは、責任分担を果たせば完成に至ることができるように道が開かれた、というだけであって、責任分担を果たさなければ救いも完成もありません。
この「責任分担」(「神様の期待」、「任務」)を理解していなかったところに、様々な混乱が生じています。祝福二世が無原罪だと到底思えないとか、祝福家庭なのに酷い家庭だとか、清平に通ってばかりいるとか、献金ばかりしているとか、教会にばかりいて家にいないとか…。人間の責任分担には神様は絶対に干渉なさらないため、責任分担それ自体を果たさない限り、何も良くなりません。
私たちは「特権」に感謝する以上に、「責任分担」に目覚めなければならないですね。
責任分担を果たそう! おー!!
≪顯進様のみ言抜粋≫
『定着時代のためのリーダーシップ・パラダイム』(米国・ベリータウン、2001年4月20日)より
昨日私は、「統一運動は官僚主義になり、体制化されている」と話しました。皆さんは、統一教会の信仰の中心となる根や軸を見つけなければなりません。それは神様、真の父母様、そして真の家庭から、そして皆さんが理想家庭(※)に接ぎ木された祝福家庭だという事実から、探し出すことができます。…(中略)…多くのリーダーが、自分が責任をもった機関や団体のことばかりを考える傾向があります。非常に画一的で官僚的で、政治的態度を持っているということです。…(中略)
もし皆さんがそのような方向に進んでいけば、統一教会はただのキリスト教の一教派か、あるいは他の宗教になることでしょう。それが真の父母様のレガシー(遺産)だと思いますか。神様の国のレガシーだと思いますか。お父様は、新しい宗教を作るために、地上に来られたのではありません。新しい教派を作るために来られたわけでもありません。
81年の生涯の中で、お父様はただ一つの目的を完成するために、ただ一つの目的に焦点を合わせて動いてこられました。…(中略)…一貫して維持してきた一つの目的は、地上に神様のみ旨を実体化することだったのです。…(中略)
昨日、私が語った神様のみ旨は何だと思いますか。神様が人類歴史を通して復帰しようとされていたものは何だったのですか。それは真の愛、真の生命、真の血統が顕現する理想家庭(※)でした!皆さんは、これを明確に理解しなければなりません。もしこのことを見失い、忘れてしまえば、統一運動は歴史のちりと消えてしまうでしょう。
(※)「理想家庭」よりも「真の家庭」の方が、しっくりくる翻訳のように思います。原文はIdeal familyなのかTrue familyなのか、確認はしていませんが。
(『神様の夢の実現』122~124ページ)
-------------------------------------------------------------------------------
顯進様が2001年に米国で行われた21日特別指導者修練会で語られたみ言を紹介しています(3回目)。前回は、私たちに必要な最高のコーチは、顯進様のように自分を厳しくプッシュしてくれるコーチだということで書きました。
今回の御言は、見事に今日の統一運動の状態を言い当てているみ言といえると思います。要約すると、統一運動は真の家庭の重要性を理解できていなかった、ということだと思います。
お父様が後に平和メッセージの中で「モデル平和理想家庭」と表現される訳ですが、真の家庭が完成して初めてその中に、真の愛と生命と血統が現れ、四大心情圏が現れ、天国のモデルが完成することになります。そこから広がっていくのが地上天国ですから、最初の核である真の家庭が完成しなければ地上天国は夢物語に過ぎません。また、真の家庭の三代の中に、過去の王権、現在の王権、未来の王権が顕現し、神の主権の永続性が決定されることになります。
私たちはこれをどのように捉え違え、理解できていなかったのでしょうか?
顯進様のご指摘によれば、お父様が一宗教、一宗派を作るために来られたと誤解している人たちがいる、ということです。そういう方々は真の父母様の基盤とは、組織や教勢のことだと考えています。そしてみ旨とは組織や教勢を大きくすることだと考えます。そのような誤った観点が実際の活動に際し様々な面にひずみとして現れ、お父様の顔に泥を塗ることも多かったのです。そして定着時代を迎え、お父様が統一教会を解体しなければならないと語られた意味が理解できず、それでは基盤が縮小してしまうと抵抗するか、無視するかしてきたのです。
また、「真の家庭」ではなく、「真の父母」だけが重要だと考えた方々もいました。地上天国がどのように現れるかという原理からすれば、真の父母が来た目的は真の家庭を成すためであって、それができなければ失敗です。「独生女」論はその原理を無視した典型と言えるでしょう。「独生女」がどんなに貴くても、独りでは天国は成せません。神様を中心とする真の家庭の関係性の中に、天国は現れるのです。
最近は善進様もお母様の側におられないと聞きました。お母様の周りの人たちが本当のことを言わなければ駄目です。「独生女」論は絶対に通用しません。語れば語る程、子女様も食口も世の中の人々も離れていくのです。家庭連合が「独生女」論を擁護する限り、このままではお母様を「独りで生きる女」にさせてしまいます。
いずれにしても、「真の家庭理想」の実現が天国の門になっています。顯進様が「もしこのことを見失い、忘れてしまえば、統一運動は歴史のちりと消えてしまうでしょう。」と語られた意味を、当時はよく理解できませんでしたが、今では決して大袈裟な表現ではないということが、よく分かるのではないでしょうか?
「真の父母理想」よりももっと大きな理想であり、ひとつのゴールであると言えるのが「真の家庭理想」である。このことを統一家の全ての食口が理解しなければならないと思います。
真の家庭の重要性が分かった食口はクリック!!
≪顯進様のみ言抜粋≫
『定着時代のためのリーダーシップ・パラダイム』(米国・ベリータウン、2001年4月20日)より
私は少年時代に、たくさんのスポーツをしましたが、最高のコーチというものは、大抵、一つ一つ教えて、訓練する人ではありません。そのように面倒見の良いコーチでは、試合に勝つことはできません。一つ一つ教える面倒見の良いコーチは、決して選手が持っている最高の能力を引き出すことができないのです。一般的に最高のコーチは、自分では悟っていなかったとしても、皆さんの可能性を認め、いつでも皆さんを後押しする人です。
それでどうなるか分かりますか。長い期間、ただ練習に練習で、めちゃくちゃだという感じがするかもしれませんが、本人はそれに気付こうが、気付くまいが、変わってきているのです。そして、試合の時に突然、その結果が現れるのです。…(中略)…新しい頂上と新し段階に到達できるように、自分自身をより強く押し出したために可能になったのです。リーダーシップは、まさにここから始まるのです。
私は人間が、何かをなすのを見るたびごとに、非常に驚かされます。それと同時に、人間というものが、いかに自分を過小評価しているかということにも驚きます。それは非常に対照的です。人間には、非常に大きな潜在的可能性があるにも関わらず、彼らは容易に自分を過小評価してしまうのです。
今日の世界を見ると、人々は最高の境地に到達しようと、努力していないことが分かります。…(中略)…今日の若者を見てください。彼らは現状にとても満足しています。もっと優秀で、偉大な人になるために挑戦するよりは、凡庸な自分の姿、現在そのままの自分の姿を受け入れています。自分が、神様から与えられた潜在能力や責任とは関係なく、ただ平凡な自分の姿を受け入れろというのが、今日の新しい原則になっています。
(『神様の夢の実現』121~122ページ)
-------------------------------------------------------------------------------
前回から、顯進様が2001年に米国で行われた21日特別指導者修練会で語られたみ言を紹介しています(2回目)。前回は、再臨主であるお父様に侍るにはあまりに不足な私たちであるため、常に優秀なリーダーになるために努力しなければならないということで書きました。
今回のみ言は、オリンピックに出場した一流のアスリートでもある顯進様の経験も踏まえたみ言で、本当に顯進様らしいみ言だと感じます。私などはこういうみ言にワクワクします。自分を育てる場合にも、人を育てる場合にも、潜在能力や可能性を信じて「プッシュ」しなければならないということを強調されています。
私たちは神様から祝福中心家庭という位置を与えられた者ですが、それに相応しい中身がまだ身に付いていません。だから自分をプッシュしなければ、とてもとても神様から期待される責任分担を果たすことができません。
本来、お父様に従うべき、準備されていた人々とは、キング牧師やマザーテレサのようないわば聖人のような方々でした。そのような方々が最初に祝福中心家庭になるべきでした。それが本来あるべき祝福中心家庭の基準であるとするならば、大変なことです。
当然、私たちには顯進様のような厳しいコーチが必要だということですね。
「残りカス」としての自覚が高まった食口はクリック!!