私自身は顯進様が摂理的長子であられると確信しています。 しかし、顯進様お一人ではなく、神様を中心として真の家庭の四位基台がなされてこそ実体的天一国の出発を成すことができます。 真の家庭理想の復活のために、祈りを込めて書きたいと思います。
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≪顯進様のみ言抜粋≫
『真の父母様の基準と伝統』(米国・ベルベディア修練所、1988年5月8日)より
皆さん、私たちは最後の瞬間まで、真のチャンピオンになるべく戦わなければなりません。馬に乗ることにしても、私ができないと考えたならば、最初から始めもしなかったでしょう。私には実際に、色々な不利な条件が沢山ありました。私が馬に乗り始めて、わずか3年しか経っていなかったのですが、…(中略)…オリンピック・ゲームにまでも挑戦をしているのです。…(中略)…韓国の乗馬選手たちを見ると、みな20年以上の経歴を持っていました。有名な大部分のアメリカの選手たちは、すでに5歳の時から乗馬を始め、今40代の人たちです。それだけでなく、彼らは最高水準の良い馬に乗るのです。私たちが持っている馬は、それと比べることすら出来ない馬です。こういう状況で、私は希望を放棄することもできました。「見込みがないから私は出場しない」ということもできるのです。しかし私は、最後の瞬間まで戦おうと思います。これが私の信念です。…(中略)…私の本当の敵は、私自身だということをはっきりと分かりました。
お父様が、教会指導者たちに方針を与える時ごとに、彼らはそれが不可能だと考えます。しかも彼らは、ご父母様が勝利して築いて来られた基盤さえも破壊しようとするのです。こうしたことから、皆さん自身が皆さんにとっての最大の敵だということがわかるでしょう。…(中略)…皆さんは、本当に真の父母様を信じていますか?(はい)そうならば、私たちは、いかなる障害があるとしても、前に前進するのみです。ありがとうございます。
(『神様の夢の実現』51~52ページ)
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顯進様が19歳の時に語られた説教の続き(8回目・最終回)です。
前回は、「真の父母様と一つになる」ということは、「指示に従う」という基準ではなく、「複製(コピー版)のようになる」ことだということで書きました。私たちがそうなることを、顯進様は切実に願われていました。
今回は、まず乗馬のことに触れられていますが、この時は、ソウルオリンピックに韓国代表選手として出場される数か月前です。わずか三年間の乗馬訓練と、他の選手の馬とは比較すらできないような馬で、そのような偉業を達成されようとしている時でした。顯進様は、たとえ達成不可能なことのように思えても、最後の瞬間まで勝利のために戦い続けるということを宣言されています。(重ね重ね、とてつもない19歳ですね。)
一方で実際の摂理現場では、教会指導者はお父様の指示を不可能だと諦めるだけでなく、基盤を破壊しようとまですると語られています。・・・私たちが「不可能だ」と考えることが、摂理を妨げてきたということです。
実際、神様と真の父母様からすれば可能なことが、私たちには不可能に見えているということが多々ありました。顯進様がよく「真の父母様の基準を心から受け入れる」と語られることは、こういう部分においてもよく当てはまると思います。真の父母様を信じているだけでなく、真の父母様が信じていることを私も信じないとダメですね・・・。
今の統一家の分裂状況を見て、多くの食口が諦めを感じているかも知れません。しかし、神様は役事しようとされているし、霊界のお父様も諦めてはいらっしゃらないでしょう。最大の敵は、私たちが「不可能だ」と考えてしまうことです。オリンピックに不屈の精神で挑戦された顯進様のように、最後の瞬間まで一つになるために戦うことが必要ではないでしょうか。
私自身、現在のような状況に対して、当初は諦めの心が強くありました。そして「誰それが失敗したから」とか「手遅れだから滅びてしまえ」というような裁きの心がありました。しかし神様は違うし、霊界のお父様も違う、そして顯進様も違うということを感じるようになりました。つまり信じて、愛して、責任を持たれていると感じるようになりました。
私も何とか頑張って、そのような姿勢を持つ努力をしたいと思い、今はその途上です。その姿勢を持った上で、何が正しいのか、何が真実なのかという議論も実を結ぶのだと思います。
有名なお父様のみ言が浮かんできました。
「常に信仰が大きいときには現実が小さく見えるし、信仰が小さくなる時には現実が大きく見えるようになる」(『み旨の道』432ページ)
「何だかできるような気が、うっすら出てきた」という食口は、迷いを棄ててクリック!
≪顯進様のみ言抜粋≫
『真の父母様の基準と伝統』(米国・ベルベディア修練所、1988年5月8日)より
お父様は、100人の真の統一教会信者さえいたならば、7年以内に天国の基礎を作ることができたはずだとおっしゃっていました。・・・(中略)
皆さんが真の父母様と一つになるということは、真の父母様の複製のようになるという意味です。ですから、真の父母様のために生きるということは、真の父母様と同じようになるということで、その方の手や足、そしてその方の声になるということです。・・・(中略)・・・私はお父様のこれまでの生涯に関する文を読んでは、数えきれない程涙を流しました。そしてどうすれば私が、そのように偉大な父母に侍る立場に立つことができるのかを考えました。私はその方の息子になるには、不足な点が多々あります。私が私自身を見る時、それに値しないと感じるのです。しかし私は、ここで止まろうとは思いません。私は堂々としたお父様の息子になるべく努力するつもりです。皆さんはどうですか?皆さんは、単純に統一教会に入ったので、真の父母様の息子と娘になったと考えますか?今の姿そのままで十分だと思いますか?
皆さんは真の統一教会人、真の子女になるべく努力しなければなりません。皆さんは最も偉大な父母に侍っています。私の信念は、時が経つにつれて強くなります。皆さんも同じでなければなりません。それが正に皆さんに与えられた5%の責任分担です。私が今日皆さんに心からお願いしたいことは、皆さん全員が真の父母様の息子娘だという、絶対的な信念を持ってほしいということです。それが私たち皆が願うことです。皆さんがそうなるならば、私は皆さんを抱きしめて、感謝の涙を流すでしょう。
(『神様の夢の実現』41、49~51ページ)
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顯進様が19歳の時に語られた説教の続き(7回目)です。
前回は、理想世界を成し遂げようという信念で武装し、真の父母様の基準を心から相続するということで書きました。
今回は、まず、「真の父母様と一つになる」という意味についてです。それは「ついていく」とか「指示に従う」という次元ではなく、「複製(コピー版)のようになる」という意味だということです。・・・お父様の弟子のつもりでいた自分自身が恥ずかしい限りです。
そして、顯進様はお父様の生涯路程を学ばれ、数えきれない程涙を流されたというお話です。私もお父様の生涯について、少しは知っているつもりですが、数えきれない程涙を流したとまでは言えないと思います。
顯進様は単に実の息子だからというだけでなく、お父様と同じ夢を追いかけ、同じ基準を目指し、同じだけの責任感を持って歩まれたからこそ、お父様の通過された心情世界をありありと理解し、19歳にして数えきれない程涙を流すことができたのだと思います。
そしてそのような顯進様が、ご自分をまだまだ不足であると語られ、時が経つほど更に前進し、更に強い信念を持って歩んでいくということを宣言されています。
私もそのような、真の統一教会人にならなければと思います。確かに、そのようなお父様の複製のような人が100人でもいれば、天国の基礎はすぐに築かれたに違いありません。
最後の「皆さんがそうなるならば、私は皆さんを抱きしめて、感謝の涙を流すでしょう」というみ言からは、お父様が15歳の時に書かれた『栄光の王冠』にある、「あなたも私のように愛するならば、私はあなたに栄光の王冠を捧げましょう」というみ言に印象的に非常に重なるところがあり、驚きました。
お父様も顯進様も、ご自分が神様の絶対的な息子として歩むだけでなく、同じように後に続く者が現れることを、切実に願われました。今も、そうだと思います。
「今からでも絶対的な息子娘を目指します!」という食口は、明日に向かってクリック!!
≪顯進様のみ言抜粋≫
『真の父母様の基準と伝統』(米国・ベルベディア修練所、1988年5月8日)より
皆さんが初めて入教して原理のみ言を聞いた時、皆さんは誰かに必ずこのみ言を伝えなければならないと熱く燃え上がるのを感じたでしょう。ところで、それがどうしてそれ以上持続することができないのですか?それが果たして絶対的確信だったと思いますか?理想的に見るならば、皆さんが統一教会により長くいて、より多く真の父母様を理解すれば、皆さんはより一層強く、より一層生命力にあふれていなければならないでしょう。しかし実際はどうですか?皆さんのほうが私よりよく知っているでしょう。
私たちはどれくらい神様に対する絶対基準をたてて、理想世界を成し遂げ、サタン的な考えをなくしてしまおうという信念で武装していますか?皆さんは初めて原理のみ言を聞いた時の情熱を、いつも大事にし、そういう情熱に溢れていなければなりません。・・・(中略)
皆さんが地上天国建設を望むならば、地上天国の生活を送らなければならないし、それを呼吸しなければなりません。どうすればそれが可能ですか?真の父母様の基準を絶対的に受け入れることだけで可能なのです。私たちが毎日のように、歩く時や話す時、働きに出て行く時、真の父母様のことを考え、真の父母様を感じ、真の父母様を呼吸し、真の父母様と共に生きなければならないのです。・・・(中略)
ですから、皆さん自身の基準を完全に否定して、真の父母様の基準を心から受け入れることによって、皆さん自身は変わることができるのです。
(『神様の夢の実現』41、48~49ページ)
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顯進様が19歳の時に語られた説教の続き(6回目)です。
前回は、私たちが「真の父母様の息子娘である」という自覚を強く持つことで、真の父母様の基準を相続することができる、顯進様はそのようにされてきた、ということで書きました。
今回は、入教当時の情熱が冷めてしまう、という問題についてです。信仰の歩みを継続する中で、内部の現実、自分自身の現実に打ちのめされ、当初の情熱が冷めてしまうということがしばしばあると思います。
しかし神様は創造理想を成し遂げようという情熱が決して冷めなかったお方であり、お父様もそのように生涯を歩まれたと思います。なぜそのようなことが可能なのでしょうか?
私たちの場合は、いつの間にか堕落した現実を前提として、まだ見ぬ創造原理の世界にうっすら憧れている、ということが多いのではないでしょうか?それに対して神様は創造理想世界を大前提として、堕落した現実に心を痛めておられます。「これは偽りの世界であり、すぐに過ぎ去ってしまわなければならない世界である」ということです。あくまで理想が主体であり、前提です。
顯進様は「どれくらい神様に対する絶対基準をたてて、理想世界を成し遂げ、サタン的な考えをなくしてしまおうという信念で武装していますか?」と語られています。それは神様やお父様と同じように、「必ず創造理想世界が実現するということだけが、私たちにとっての現実であり、堕落した現状はすべて今だけの一時的なものである」という風に感じていなければならない、現実によって理想が打ちのめされてはならない、ということだと思います。
「信仰基台」という言葉をよく使いますが、今日のみ言を拝読すると、まずは神様の夢に対して、現実の壁が立ちはだかっても、決して相対的にならないということが、「信仰基台」なのだと理解することができます。
入教当初の情熱が冷めるというのは、信仰を続ける中で、現実の壁の前に「信仰基台」が微妙に奪われ始めることで起こる現象だということですね。私たちが守るべき基準は、組織的な意味で離教しなければ良いのではなく、この「信仰基台」が守られているかどうか、ということになります。
最後に、今日、私たち全員の前に立ちはだかる、真の家庭と統一家が三つに分かれているという現実の壁があります。多くの食口の方々が心に重苦しさを持たれていると思います。
しかし今大切なことは、私たちの心の中から「真の家庭理想」を奪われないことだと思います。神様の創造理想は、「真の家庭理想」から始まります。何がどうなっても、真の家庭からしか神様の夢は拡がっていかない。それは原理である。そうである以上、神様はこの状況を放置されるのではなく、必ず役事されるのではないでしょうか?
必ず再び一つになれる、そして新しい世界は必ずやってくる、そのような理想と信念で武装してこそ、今日の「天宙的葛藤」を克服できるはずです。顯進様は、そのように歩まれています。神様も、霊界のお父様もそうでしょう。
「ですから、皆さん自身の基準を完全に否定して、真の父母様の基準を心から受け入れることによって、皆さん自身は変わることができるのです。」
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≪顯進様のみ言抜粋≫
『真の父母様の基準と伝統』(米国・ベルベディア修練所、1988年5月8日)より
今日私が皆さんに対しているこの場でも、私は皆さんが私を顯進として分離して見るのではなく、真の家庭の一員として対してくれることを願っています。私は、今日真の父母様と神様を代表しているのです。このようなことも、やはり神様から相続しなければならない基礎なのです。同じように皆さんも、自分を自分自身としてだけでなく、統一教会のメンバーとして、そして真のご父母様の息子娘として考えなければなりません。これが、正に皆さんが自身に対する基準でなければなりません。いつでも個人主義的に考える時、サタンが入ってくるのです。そうなると、皆さんはそれ以上、神様の懐の中に留まることができなくなるのです。・・・(中略)
皆さんは、神様の女性性相と男性性相に似るよう自ら努力しなければなりません。皆さん自身の理想的な基準を確立することによって、皆さんの子女たちの理想的基準を立て、また、彼らの未来を開いてやることができるのです。この世では「あなた自身のために生きろ」と言いますが、統一教会では人類のために生きようとします。
(『神様の夢の実現』40~41ページ)
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顯進様が19歳の時に語られた説教の続き(5回目)です。
前回、顯進様は真の父母様の基準を完全に相続され、実践されたということで書きました。しかし一方で私たち自身は、「一体、どうしてそんなことができるのか?!顯進様のようにはできない」と考え、多くの場合はそのまま諦めてしまうのではないでしょうか?
そして、真の父母様が立ててくださった基準を相続し切れずに統一運動全体も流れてきてしまったと思われます。
顯進様は、私たちが真の父母様の基準を相続するために、「自覚」について話をしてくださっています。「アイデンティティ」と言っても良いだろうと思います。
ちょうど似たような話を李ヨハネ先生の『心情開拓』の中でも説明してくださっています。神様が信頼する者は、教会にいる時だけでなく、映画館にいても道を歩いていても、常に自分自身が「神の子」であるという自覚を持ち続け、人格的に崩れない者で、イエス様は十字架上でもその自覚が変わらなかった、というお話です。(『心情開拓』16ページ)
顯進様は、いつもご自分をただ「顯進」と個人主義的に捉えるのでなく、「真の父母様の息子である私。真の父母様を代表している私」という風に強く自覚されることで、真の父母様の基準を相続して歩まれたのだと思います。
祝福中心家庭はカインの子女として、真の父母様の息子娘、真の子女様の弟妹という位置が与えられている訳ですが、どれだけその自覚が絶対的で、変わらないものだったのか、ということを反省させられます。正直、今日の朝から今までの生活でさえ、たくさん反省させられます。
何歳になっても、心さえ若ければ、何度でも再出発できると信じて頑張ります。
「教会にいる時以外は、完全にアイデンティティを忘れてるぜ!」という食口は、ヘラヘラしてないでクリック!
≪顯進様のみ言抜粋≫
『真の父母様の基準と伝統』(米国・ベルベディア修練所、1988年5月8日)より
皆さんの子女たちの過ちは、すべて皆さん自身の責任です。何故ならば、それは皆さんが、真の父母様に侍る、真なる基準を備えなかったからです。皆さんが、どんな基準を持って生きようが、皆さんの子女たちは、それに従うのです。・・・(中略)
実際、どんどん祝福家庭は多くなりますが、真の祝福家庭は、あまり多くありません。・・・(中略)・・・ですから、伝統が大切であり、切実に必要なのです。・・・(中略)・・・もし、皆さんが本当に正しい基準を確立したら、私たちが世界人類を復帰していく道が開かれるのです。・・・(中略)
私には、すでに信元という赤ちゃんがいますが、彼から多くのことを学びます。ご父母様の基準を成すために、もっと熱心に働かなければならないことを、悟るようになりました。私は自分の息子が、どんな障害もなく成長することを望みます。彼が持つどんな基準も親から与えられるのです。私は彼が真の父母様の基準で生きることを望みます。それで親としての私は、心から、真の父母様の基準を成し、また、その基準を相続しようとします。
(『神様の夢の実現』36~37ページ)
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顯進様が19歳の時に語られた説教の続き(4回目)です。
前回、「祝福を受けて何代か経ったら立派な後孫が現れるかも」と期待するのではなく、私たちの代から真の父母様の基準を相続しなければならない、ということで書きました。
もしもその伝統が私たちから子女に相続され、また孫にまで相続されていけば、世界人類を復帰していく道が開かれる、というのは、論理的に明らかなことだと思います。
私たちはみ旨の発展を「教勢の拡大」として捉えてしまいやすいですが、こうした真の伝統無くして多くの人が集ってきても、烏合の衆になってしまいます。問題は、「真の祝福家庭」がどれだけ立つのか、ということだと顯進様は指摘されています。
今日のみ言の最後の段落では、御長男の信元様を授かった親としての顯進様の心境を語られています。顯進様にとって、息子を愛する気持ちも、「真の父母様の基準を相続しよう」という決意を支える原動力になったのだということが分かります。
私自身も、子女を愛する気持ち、子女が立派に育ち、幸せになって欲しいという気持ちがあります。子女のためにも、立派な親にならなければと決意させられます。今からでもそういう決意をしないとすれば、本当に情けない親ではないか、と思います。
今、立派に成長された信元様だと聞くにつけ、顯進様は親になりたての19歳の時に語られたその基準を、見事に実践されていったのだと感じます。
顯進様に「参りました!」と言いたい食口はクリック!