私自身は顯進様が摂理的長子であられると確信しています。 しかし、顯進様お一人ではなく、神様を中心として真の家庭の四位基台がなされてこそ実体的天一国の出発を成すことができます。 真の家庭理想の復活のために、祈りを込めて書きたいと思います。
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≪顯進様のみ言抜粋≫
『真の父母様の基準と伝統』(米国・ベルベディア修練所、1988年5月8日)より
皆さんは、心から真の父母様を理解していますか?真の父母様の心情と、真の父母様が人類のために、全身全霊を尽くして献身していらっしゃるという事実を、心から理解していますか?真の父母様の基準を心から理解していますか?・・・(中略)
皆さんは、統一教会が2世の時代に至って、すべて亡びてしまうことを願いますか?それとも、百年くらいだけ持続することを願いますか?何が、統一教会を固く支えていますか?伝統です。それでは、どんな基準が、私たちの伝統にならなければならないのでしょうか?私たち自身の個人的な基準ですか?いいえ。それよりは皆さんが、神様を中心とする理想家庭を作るべきです。そして心から真の父母様の基準を相続しなければならないのです。これは、皆さんから出発されなければなりません。皆さんの子女たちが、将来見習うことのできる手本とならなければならないのです。私たちは、真の父母様の伝統を理解し、それに、100パーセント従わなければならないのです。
(『神様の夢の実現』34~35ページ)
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顯進様が19歳の時に語られた説教の続き(3回目)です。
私たちは、「自分自身は罪びとだが、祝福を受けて七代くらい経ったら立派な後孫が現れるかな?」などということを内心で思っていたり、時々、口に出してみたりします(私だけでしょうか?)。しかし、顯進様は、私たちの代から真の父母様の基準を相続して、私たちが子女たちの見本にならなければならないと語られています。
真の父母様の伝統とは、人類のために全身全霊を尽くして献身する基準であり、そのような姿が自らの子女に対して良き手本になって、神様を中心とした理想家庭を築く、ということです。
もしも祝福家庭がその基準に挑戦して成し遂げようとしなければ、統一家は徐々に理想と乖離して尻すぼみに成らざるを得ないということですね。・・・顯進様、ごもっともです。このみ言は1988年に語られたもので、多くの二世はまだ幼い年齢の頃でした。しかし今日の二世の状況を見ると、顯進様の指摘が正に現実のものとなっていることを感じます。まだ、すべてが終わってはいませんが。
本来準備されていた人々ではなく、私のような者が祝福をいただいてしまいましたので、顯進様が示されている基準を目指すにはかなりの決意が必要なのですが、今からでも決意したいと思います。皆様、いかがでしょうか?
≪顯進様のみ言抜粋≫
『真の父母様の基準と伝統』(米国・ベルベディア修練所、1988年5月8日)より
皆さんは、ご父母様のために任された自分の使命に、休む暇なく投入しているかもしれませんが、もし真なる基準を維持することができなければ、どのような努力も無意味なものになるのです。なぜだか分かりますか?まず皆さんが、真の父母様の子女になるためには、真の子女とはどのようなものなのかを知らなければなりません。それは、父母に徹底的に似ていなければならないし、父母の足跡に従い、父母がすることなら何でもしようとする姿勢を備えているのです。しかし偽りの子女の姿はどうでしょうか?自分なりの基準を中心として生きる人々です。・・・(中略)
私たちは、真の父母様の基準を徹底的に相続し、またすべての人類に真の父母様の基準を相続させるために、この場に集まりました。統一教会のメンバーとして、皆さんはこの点をはっきり悟らなければなりません。・・・(中略)
皆さんの子女たちは皆さんが持っている基準を学び皆さんに付いていくことでしょう。ゆえに、皆さんの子女の不足な点は、皆さんの間違いに起因するのです。統一教会のメンバーとしての最高の願いは、神様を中心とした四位基台を成すことです。
(『神様の夢の実現』30~31ページ)
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顯進様が19歳の時に語られた説教の続き(2回目)です。
私たちは真の父母様に「従う」という次元での信仰生活を過ごすことは多いですが、真の父母様に「徹底的に似る」という次元でどうかと聞かれると、「申し訳ないながら・・・」と答えざるを得ないということが多いのではないでしょうか?
顯進様が語られていることは非常に明確で、真の父母様の立てられた基準を、一世が完全に相続し、その基準を二世が完全に相続していくならば、世界を救済することができるし、地上に天国を実現することができる、ということです。
お父様は私たちに子女として完成することを願われたにも関わらず、私たちは自らを半永久的に「罪びと」の立場において従うだけだったように思います。導く側と導かれる側の間に、大変なギャップがあったことになります。
スポーツに例えれば、名コーチであるお父様は、私たちにオリンピックで金メダルを獲らせたいと思って投入してくださっていたにも関わらず、私たちは選手としてせいぜい県大会出場くらいしか目指していなかった、目指そうとしなかったため、名コーチであるお父様にもどうしようもなかった、というところでしょうか。
このようなことが、基元節を迎えられずにお父様が聖和されたことの大きな原因になってしまいました。今、真の家庭と統一家全体が三つに分かれてしまった現状で、どの立場が神様の願いに適っているのかという議論も必要でしょう。しかしいずれにしても、私たちは父母様に徹底的に似る努力をしなければ、摂理は成し遂げられません。
「罪びと」の立場から復帰された自覚は必要ですが、それを言い訳に完成を目指さない信仰の世界からは、脱却しなければならないと感じさせられます。
≪顯進様のみ言抜粋≫
『真の父母様の基準と伝統』(米国・ベルベディア修練所、1988年5月8日)より
神様を中心として生きる人として、残すべき伝統とはどのようなものですか?それは、私たちだけのためではなく、人類と隣人、そして兄弟姉妹のために生きなければならないという伝統です。これがまさに、真の父母様が立ててくださった真の基準であります。・・・(中略)・・・どれだけ他人に与えようとする生活をしてきたかということが、本然の基準になるのです。他人のために生きようとすることが、すなわち真なる心情であるということです。
(『神様の夢の実現』29ページ)
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まず最初に言いたいのは、これから数回にわたって取り上げていくこの『真の父母様の基準と伝統』という説教を、顯進様はなんと19歳の時に語られたということに、私は度肝を抜かれているということです。単に言葉を語るだけならば簡単かも知れませんが、説教全体を通じて伝わってくる確信は、19歳にして自ら語る言葉に対して負債なく実行しておられることを感じ、思わずうなってしまいます。
さて、み言の中身についてです。
「ために生きる」という言葉は食口にとってはありふれた言葉です。しかしこの言葉を突き詰めていくと、お父様にとっての「み旨」と私たちが理解していた「み旨」が若干異なっていたのではないかと考えさせられます。
端的に言えば、お父様はすべての人々の救済を考えておられたのに、私たちは組織の拡大を「み旨」だと勝手に勘違いしてきたのではなかろうか、ということです。
すべての人々を救済するための一つの手段として作った組織であるにも関わらず、いつの間にか組織自体が目的になってしまったように思います。もしも私たちが、自らのアイデンティティを所属する組織に見出している場合、組織が社会から認められるようになることは、同時に自分が認められているかのように感じるものです。それで組織のために一生懸命に生きても、それはどこかで自己中心です。
お父様が摂理の曲折の中で1954年5月1日に統一教会を創立された時、特定の宗教団体をスタートさせることのデメリットを相当に警戒されていたのだということが、自叙伝には書かれています(『平和を愛する世界人として』131~136ページ)。しかし、実際には私たちは、お父様が警戒されていたデメリットに見事にはまり込んでしまったようです。
私自身も「み旨」を歩んできながら、どれだけ人のために涙を流して来ただろうか、そしてお父様のように世界中の人々を救済しようということを、どれだけ本気で考えてきただろうか、これからはそうならなければならない、と感じさせられます。
そのような心情を持ち、実践できるようになることが、本当の意味で「私は救われた」ということではないでしょうか?
できることならば、現在の混乱が収拾されていく上で一助になればと思います。
皆様、初めまして。私は大地と申します。
真のお父様が93年の御生涯を神様と人類に対する真の愛で貫いてくださったにも関わらず、現在、真の家庭を中心として統一家全体が三つに分かれるという「天宙的葛藤」が生じています。天の心情を思うと非常に心痛い限りです。
私自身は顯進様が摂理的長子であられると確信しています。
しかし、顯進様お一人ではなく、神様を中心として真の家庭の四位基台がなされてこそ実体的天一国の出発を成すことができます。
私は、真の家庭が再び一つになられるように、天は必ず役事してくださるはずだと信じています。
顯進様は、祝福中心家庭は真の家庭の拡大家庭の一員であると語られます。真の父母様、真のご家庭と、親子・兄弟の宿命で結ばれた私たちです。ただ単にこの混乱した状況を傍観するだけではなく、息子として兄弟として、何か役割を果たすことはできないかと考えました。
ブログという媒介でできることは限られていますが、それでも何らかの価値を生みだせればと思います。
今は三つに分かれていても、必ず一つになるべき宿命があるのであり、それが神様と人間が太初に交わした約束を成就することだと思います。
「ブログを書く」ということには全く縁がなかった私ですが、ここ数日祈りながら決心しまして、『約束の大地』というタイトルでブログを始めようと思います。よろしくお願いします。