私自身は顯進様が摂理的長子であられると確信しています。 しかし、顯進様お一人ではなく、神様を中心として真の家庭の四位基台がなされてこそ実体的天一国の出発を成すことができます。 真の家庭理想の復活のために、祈りを込めて書きたいと思います。
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≪顯進様のみ言抜粋≫
『真の父母様の基準と伝統』(米国・ベルベディア修練所、1988年5月8日)より
皆さんが初めて入教して原理のみ言を聞いた時、皆さんは誰かに必ずこのみ言を伝えなければならないと熱く燃え上がるのを感じたでしょう。ところで、それがどうしてそれ以上持続することができないのですか?それが果たして絶対的確信だったと思いますか?理想的に見るならば、皆さんが統一教会により長くいて、より多く真の父母様を理解すれば、皆さんはより一層強く、より一層生命力にあふれていなければならないでしょう。しかし実際はどうですか?皆さんのほうが私よりよく知っているでしょう。
私たちはどれくらい神様に対する絶対基準をたてて、理想世界を成し遂げ、サタン的な考えをなくしてしまおうという信念で武装していますか?皆さんは初めて原理のみ言を聞いた時の情熱を、いつも大事にし、そういう情熱に溢れていなければなりません。・・・(中略)
皆さんが地上天国建設を望むならば、地上天国の生活を送らなければならないし、それを呼吸しなければなりません。どうすればそれが可能ですか?真の父母様の基準を絶対的に受け入れることだけで可能なのです。私たちが毎日のように、歩く時や話す時、働きに出て行く時、真の父母様のことを考え、真の父母様を感じ、真の父母様を呼吸し、真の父母様と共に生きなければならないのです。・・・(中略)
ですから、皆さん自身の基準を完全に否定して、真の父母様の基準を心から受け入れることによって、皆さん自身は変わることができるのです。
(『神様の夢の実現』41、48~49ページ)
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顯進様が19歳の時に語られた説教の続き(6回目)です。
前回は、私たちが「真の父母様の息子娘である」という自覚を強く持つことで、真の父母様の基準を相続することができる、顯進様はそのようにされてきた、ということで書きました。
今回は、入教当時の情熱が冷めてしまう、という問題についてです。信仰の歩みを継続する中で、内部の現実、自分自身の現実に打ちのめされ、当初の情熱が冷めてしまうということがしばしばあると思います。
しかし神様は創造理想を成し遂げようという情熱が決して冷めなかったお方であり、お父様もそのように生涯を歩まれたと思います。なぜそのようなことが可能なのでしょうか?
私たちの場合は、いつの間にか堕落した現実を前提として、まだ見ぬ創造原理の世界にうっすら憧れている、ということが多いのではないでしょうか?それに対して神様は創造理想世界を大前提として、堕落した現実に心を痛めておられます。「これは偽りの世界であり、すぐに過ぎ去ってしまわなければならない世界である」ということです。あくまで理想が主体であり、前提です。
顯進様は「どれくらい神様に対する絶対基準をたてて、理想世界を成し遂げ、サタン的な考えをなくしてしまおうという信念で武装していますか?」と語られています。それは神様やお父様と同じように、「必ず創造理想世界が実現するということだけが、私たちにとっての現実であり、堕落した現状はすべて今だけの一時的なものである」という風に感じていなければならない、現実によって理想が打ちのめされてはならない、ということだと思います。
「信仰基台」という言葉をよく使いますが、今日のみ言を拝読すると、まずは神様の夢に対して、現実の壁が立ちはだかっても、決して相対的にならないということが、「信仰基台」なのだと理解することができます。
入教当初の情熱が冷めるというのは、信仰を続ける中で、現実の壁の前に「信仰基台」が微妙に奪われ始めることで起こる現象だということですね。私たちが守るべき基準は、組織的な意味で離教しなければ良いのではなく、この「信仰基台」が守られているかどうか、ということになります。
最後に、今日、私たち全員の前に立ちはだかる、真の家庭と統一家が三つに分かれているという現実の壁があります。多くの食口の方々が心に重苦しさを持たれていると思います。
しかし今大切なことは、私たちの心の中から「真の家庭理想」を奪われないことだと思います。神様の創造理想は、「真の家庭理想」から始まります。何がどうなっても、真の家庭からしか神様の夢は拡がっていかない。それは原理である。そうである以上、神様はこの状況を放置されるのではなく、必ず役事されるのではないでしょうか?
必ず再び一つになれる、そして新しい世界は必ずやってくる、そのような理想と信念で武装してこそ、今日の「天宙的葛藤」を克服できるはずです。顯進様は、そのように歩まれています。神様も、霊界のお父様もそうでしょう。
「ですから、皆さん自身の基準を完全に否定して、真の父母様の基準を心から受け入れることによって、皆さん自身は変わることができるのです。」
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≪顯進様のみ言抜粋≫
『真の父母様の基準と伝統』(米国・ベルベディア修練所、1988年5月8日)より
今日私が皆さんに対しているこの場でも、私は皆さんが私を顯進として分離して見るのではなく、真の家庭の一員として対してくれることを願っています。私は、今日真の父母様と神様を代表しているのです。このようなことも、やはり神様から相続しなければならない基礎なのです。同じように皆さんも、自分を自分自身としてだけでなく、統一教会のメンバーとして、そして真のご父母様の息子娘として考えなければなりません。これが、正に皆さんが自身に対する基準でなければなりません。いつでも個人主義的に考える時、サタンが入ってくるのです。そうなると、皆さんはそれ以上、神様の懐の中に留まることができなくなるのです。・・・(中略)
皆さんは、神様の女性性相と男性性相に似るよう自ら努力しなければなりません。皆さん自身の理想的な基準を確立することによって、皆さんの子女たちの理想的基準を立て、また、彼らの未来を開いてやることができるのです。この世では「あなた自身のために生きろ」と言いますが、統一教会では人類のために生きようとします。
(『神様の夢の実現』40~41ページ)
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顯進様が19歳の時に語られた説教の続き(5回目)です。
前回、顯進様は真の父母様の基準を完全に相続され、実践されたということで書きました。しかし一方で私たち自身は、「一体、どうしてそんなことができるのか?!顯進様のようにはできない」と考え、多くの場合はそのまま諦めてしまうのではないでしょうか?
そして、真の父母様が立ててくださった基準を相続し切れずに統一運動全体も流れてきてしまったと思われます。
顯進様は、私たちが真の父母様の基準を相続するために、「自覚」について話をしてくださっています。「アイデンティティ」と言っても良いだろうと思います。
ちょうど似たような話を李ヨハネ先生の『心情開拓』の中でも説明してくださっています。神様が信頼する者は、教会にいる時だけでなく、映画館にいても道を歩いていても、常に自分自身が「神の子」であるという自覚を持ち続け、人格的に崩れない者で、イエス様は十字架上でもその自覚が変わらなかった、というお話です。(『心情開拓』16ページ)
顯進様は、いつもご自分をただ「顯進」と個人主義的に捉えるのでなく、「真の父母様の息子である私。真の父母様を代表している私」という風に強く自覚されることで、真の父母様の基準を相続して歩まれたのだと思います。
祝福中心家庭はカインの子女として、真の父母様の息子娘、真の子女様の弟妹という位置が与えられている訳ですが、どれだけその自覚が絶対的で、変わらないものだったのか、ということを反省させられます。正直、今日の朝から今までの生活でさえ、たくさん反省させられます。
何歳になっても、心さえ若ければ、何度でも再出発できると信じて頑張ります。
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≪顯進様のみ言抜粋≫
『真の父母様の基準と伝統』(米国・ベルベディア修練所、1988年5月8日)より
皆さんの子女たちの過ちは、すべて皆さん自身の責任です。何故ならば、それは皆さんが、真の父母様に侍る、真なる基準を備えなかったからです。皆さんが、どんな基準を持って生きようが、皆さんの子女たちは、それに従うのです。・・・(中略)
実際、どんどん祝福家庭は多くなりますが、真の祝福家庭は、あまり多くありません。・・・(中略)・・・ですから、伝統が大切であり、切実に必要なのです。・・・(中略)・・・もし、皆さんが本当に正しい基準を確立したら、私たちが世界人類を復帰していく道が開かれるのです。・・・(中略)
私には、すでに信元という赤ちゃんがいますが、彼から多くのことを学びます。ご父母様の基準を成すために、もっと熱心に働かなければならないことを、悟るようになりました。私は自分の息子が、どんな障害もなく成長することを望みます。彼が持つどんな基準も親から与えられるのです。私は彼が真の父母様の基準で生きることを望みます。それで親としての私は、心から、真の父母様の基準を成し、また、その基準を相続しようとします。
(『神様の夢の実現』36~37ページ)
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顯進様が19歳の時に語られた説教の続き(4回目)です。
前回、「祝福を受けて何代か経ったら立派な後孫が現れるかも」と期待するのではなく、私たちの代から真の父母様の基準を相続しなければならない、ということで書きました。
もしもその伝統が私たちから子女に相続され、また孫にまで相続されていけば、世界人類を復帰していく道が開かれる、というのは、論理的に明らかなことだと思います。
私たちはみ旨の発展を「教勢の拡大」として捉えてしまいやすいですが、こうした真の伝統無くして多くの人が集ってきても、烏合の衆になってしまいます。問題は、「真の祝福家庭」がどれだけ立つのか、ということだと顯進様は指摘されています。
今日のみ言の最後の段落では、御長男の信元様を授かった親としての顯進様の心境を語られています。顯進様にとって、息子を愛する気持ちも、「真の父母様の基準を相続しよう」という決意を支える原動力になったのだということが分かります。
私自身も、子女を愛する気持ち、子女が立派に育ち、幸せになって欲しいという気持ちがあります。子女のためにも、立派な親にならなければと決意させられます。今からでもそういう決意をしないとすれば、本当に情けない親ではないか、と思います。
今、立派に成長された信元様だと聞くにつけ、顯進様は親になりたての19歳の時に語られたその基準を、見事に実践されていったのだと感じます。
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≪顯進様のみ言抜粋≫
『真の父母様の基準と伝統』(米国・ベルベディア修練所、1988年5月8日)より
皆さんは、心から真の父母様を理解していますか?真の父母様の心情と、真の父母様が人類のために、全身全霊を尽くして献身していらっしゃるという事実を、心から理解していますか?真の父母様の基準を心から理解していますか?・・・(中略)
皆さんは、統一教会が2世の時代に至って、すべて亡びてしまうことを願いますか?それとも、百年くらいだけ持続することを願いますか?何が、統一教会を固く支えていますか?伝統です。それでは、どんな基準が、私たちの伝統にならなければならないのでしょうか?私たち自身の個人的な基準ですか?いいえ。それよりは皆さんが、神様を中心とする理想家庭を作るべきです。そして心から真の父母様の基準を相続しなければならないのです。これは、皆さんから出発されなければなりません。皆さんの子女たちが、将来見習うことのできる手本とならなければならないのです。私たちは、真の父母様の伝統を理解し、それに、100パーセント従わなければならないのです。
(『神様の夢の実現』34~35ページ)
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顯進様が19歳の時に語られた説教の続き(3回目)です。
私たちは、「自分自身は罪びとだが、祝福を受けて七代くらい経ったら立派な後孫が現れるかな?」などということを内心で思っていたり、時々、口に出してみたりします(私だけでしょうか?)。しかし、顯進様は、私たちの代から真の父母様の基準を相続して、私たちが子女たちの見本にならなければならないと語られています。
真の父母様の伝統とは、人類のために全身全霊を尽くして献身する基準であり、そのような姿が自らの子女に対して良き手本になって、神様を中心とした理想家庭を築く、ということです。
もしも祝福家庭がその基準に挑戦して成し遂げようとしなければ、統一家は徐々に理想と乖離して尻すぼみに成らざるを得ないということですね。・・・顯進様、ごもっともです。このみ言は1988年に語られたもので、多くの二世はまだ幼い年齢の頃でした。しかし今日の二世の状況を見ると、顯進様の指摘が正に現実のものとなっていることを感じます。まだ、すべてが終わってはいませんが。
本来準備されていた人々ではなく、私のような者が祝福をいただいてしまいましたので、顯進様が示されている基準を目指すにはかなりの決意が必要なのですが、今からでも決意したいと思います。皆様、いかがでしょうか?
≪顯進様のみ言抜粋≫
『真の父母様の基準と伝統』(米国・ベルベディア修練所、1988年5月8日)より
皆さんは、ご父母様のために任された自分の使命に、休む暇なく投入しているかもしれませんが、もし真なる基準を維持することができなければ、どのような努力も無意味なものになるのです。なぜだか分かりますか?まず皆さんが、真の父母様の子女になるためには、真の子女とはどのようなものなのかを知らなければなりません。それは、父母に徹底的に似ていなければならないし、父母の足跡に従い、父母がすることなら何でもしようとする姿勢を備えているのです。しかし偽りの子女の姿はどうでしょうか?自分なりの基準を中心として生きる人々です。・・・(中略)
私たちは、真の父母様の基準を徹底的に相続し、またすべての人類に真の父母様の基準を相続させるために、この場に集まりました。統一教会のメンバーとして、皆さんはこの点をはっきり悟らなければなりません。・・・(中略)
皆さんの子女たちは皆さんが持っている基準を学び皆さんに付いていくことでしょう。ゆえに、皆さんの子女の不足な点は、皆さんの間違いに起因するのです。統一教会のメンバーとしての最高の願いは、神様を中心とした四位基台を成すことです。
(『神様の夢の実現』30~31ページ)
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顯進様が19歳の時に語られた説教の続き(2回目)です。
私たちは真の父母様に「従う」という次元での信仰生活を過ごすことは多いですが、真の父母様に「徹底的に似る」という次元でどうかと聞かれると、「申し訳ないながら・・・」と答えざるを得ないということが多いのではないでしょうか?
顯進様が語られていることは非常に明確で、真の父母様の立てられた基準を、一世が完全に相続し、その基準を二世が完全に相続していくならば、世界を救済することができるし、地上に天国を実現することができる、ということです。
お父様は私たちに子女として完成することを願われたにも関わらず、私たちは自らを半永久的に「罪びと」の立場において従うだけだったように思います。導く側と導かれる側の間に、大変なギャップがあったことになります。
スポーツに例えれば、名コーチであるお父様は、私たちにオリンピックで金メダルを獲らせたいと思って投入してくださっていたにも関わらず、私たちは選手としてせいぜい県大会出場くらいしか目指していなかった、目指そうとしなかったため、名コーチであるお父様にもどうしようもなかった、というところでしょうか。
このようなことが、基元節を迎えられずにお父様が聖和されたことの大きな原因になってしまいました。今、真の家庭と統一家全体が三つに分かれてしまった現状で、どの立場が神様の願いに適っているのかという議論も必要でしょう。しかしいずれにしても、私たちは父母様に徹底的に似る努力をしなければ、摂理は成し遂げられません。
「罪びと」の立場から復帰された自覚は必要ですが、それを言い訳に完成を目指さない信仰の世界からは、脱却しなければならないと感じさせられます。