私自身は顯進様が摂理的長子であられると確信しています。 しかし、顯進様お一人ではなく、神様を中心として真の家庭の四位基台がなされてこそ実体的天一国の出発を成すことができます。 真の家庭理想の復活のために、祈りを込めて書きたいと思います。
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≪顯進様のみ言抜粋≫
『私の国の統一と氏族的メシアの使命』(米国・ニューヨーク世界宣教本部、1991年1月1日)より
真の父母様は、皆さんに霊肉共の完全な救いと完成の道を開いてくださいました。しかし、それを成就できるかどうかは、皆さん次第です。ただ真の父母様から受ける理想の上に乗っかっているだけでなされるのではありません。自分自身を摂理の中に投入し、自分の櫂(かい)は自分でこがなければならないのです。自分の場を作って完成していかなければならないのです。…(中略)
今や、理想世界の建設とカナンの地に向かう最短コースを造る偉業は、皆さんに懸かっているのです。私達は、自分の努力で、その目標に到達するための計画を立てなければなりません。そして、一歩一歩、前進していかなければなりません。その重荷をご父母様に背負わせることはできず、私達が自ら二本の足で進んでいかなければならないのです。「ご父母様、私があなたを背負って行きます」と言う時、皆さんは、お父様とお母様の真の息子娘だと言うことができるのです。…(中略)
ご父母様は、皆さんの裁判官ではありません。むしろご父母様は、皆さんを許して下さり、悔い改める機会を与えて下さり、もう一度しなさいと語られることでしょう。お父様は今日、神の日にこのように指導されたのです。しかし、サタンが皆さんを見ていることを理解しなければなりません。もしサタンに勝利できる基盤を造ることができなければ、天国には入れません。サタンが許さないでしょう。父母として、お父様は最善を尽くして、皆さんに最高のものを与えようと努力しておられます。皆さんすべてが真の息子娘となって、歴史的にまた究極的に、天の国で自分の位置をしっかりと獲得し、相続権の所有者になることを願っておられます。…(中略)
自分が一人だとは思わないでください。私達はいつも皆さんと共にあり、これからもずっと共にあるでしょう。
(『神様の夢の実現』60~62ページ)
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1991年の真の神の日に、当時21歳の顯進様が語られたみ言を紹介していきます。(3回目・最終回) 前回は、氏族メシアが宗教の次元を超えた使命だということと、国家復帰の公式路程であるということで書きました。
今回は、「人間の責任分担」について考えさせられるみ言だと思います。元来、創造原理的に、人間の責任分担は極めて重要な創造の鍵でした。それがあることによって、人間が神様の創造性までも似るようになり、万物の主管主の立場に立つようになれたからです。つまり、神様は人間を神様以下の存在としてではなく、共同創造主として創造されたということで、そのために、人間の責任分担が必要不可欠でした。
事実、神様は人間の責任分担に関しては、たとえ人間始祖が堕落しても干渉しないし、復帰摂理が延長しても干渉しないし、イエス様が殺害されても干渉しませんでした。なぜでしょうか?干渉すれば創造理想を永遠に失うことになるからです。それほど責任分担が重要でした。
私たちが授かった「祝福」について考えてみたいと思います。私は祝福を授かった当時、まだ信仰が幼かったため、「これで救われた」とか、自分が楽に完成できるようになったかのように感じていました。皆さんはいかがでしょうか?絶対に責任分担に干渉しなかった神様が、祝福によって、私の責任分担を「大幅割引」してくださったのでしょうか?もしも神様が「大幅割引」してしまったら、私は永遠に完成することができないと思います。
では「祝福」とは何でしょうか?顯進様は「真の父母様は、皆さんに霊肉共の完全な救いと完成の道を開いてくださいました。」と表現されています。「道が開かれた」のですね。そして次のように語られています。「自分自身を摂理の中に投入し、自分の櫂(かい)は自分でこがなければならないのです。」櫂とは、舟を漕ぐオールのことです。道は確かに開かれたのだけれど、その舟を漕ぐのは自分自身、その道を歩いていくのは自分自身、ということです。そうすることで完成していくのですから、この責任分担に割引はない、ということになります。
ところでキリスト教の教義というのは、「大幅割引」の教義になっていますよね?どんなに罪を犯しても告白をして、イエス様の十字架と復活を信じていけば天国に行けるというお話です。私たちの信仰観も、責任分担という原理を聴きながらも、知らず知らずのうちに本当の原理的信仰観とキリスト教的信仰観の中間くらいになっていた、ということがあると思います。
真の父母様が父母として道を開いてくださり、あとは子女である私たちを許し、信じて機会を与えてくださっている訳ですが、残念ながら天国への合格証はサタンがくれるということで、自分で勝利しなければならない訳です。「今や、理想世界の建設とカナンの地に向かう最短コースを造る偉業は、皆さんに懸かっているのです。」ということで、主役的な使命を与えられた私たちです。
最後に、そのような使命を果たす上で必要な、アベルの子女とカインの子女の関係性についてです。私たちは、アベルの子女である真の子女様のご指導や助けがあってこそ、真の父母様の基準を完全に相続し、氏族メシアを勝利することができます。
「自分が一人だとは思わないでください。私達はいつも皆さんと共にあり、これからもずっと共にあるでしょう。」
この言葉の通り、顯進様は今でも祝福中心家庭の救いと勝利に共に責任を持ってくださっています。
「え?俺が全部、自分でやるんだったのかぃ?」と驚いている食口はクリック!!
≪顯進様のみ言抜粋≫
『私の国の統一と氏族的メシアの使命』(米国・ニューヨーク世界宣教本部、1991年1月1日)より
神の日のみ言の中で皆さんに、最高の祝福として氏族メシアの使命を下さいました。お父様は、子女を持たないということは、自分の根から自分を切ることと同じだとおっしゃいました。氏族メシアになるということは、皆さんが父母の立場に立ち、根を広げ、堕落した世の中の子女を探して、神様につないであげることにより、自分の基盤を拡大していくことを意味します。皆さんが真の父母様に、自分の氏族を連結させる結び目になるのです。それは、真の父母様から福を受ける自分の生活を通して、全ての相続を受けることができる場なのです。…(中略)
皆さんが更に発展し、神様を代身することができる立場に立つことを願います。皆さんには、ここが自分のいるべき場所であり、私は真の父母様の真の子女なので、サタンはそれを奪っていくことはできないという確信を持ってほしいと思います。…(中略)…真の父母様は、皆さんに大きな期待をしておられます。皆さんが、全てのことをなし遂げてほしいと願っておられるのです。…(中略)
私は、皆さん一人一人が、お父様の伝統を受け継いでほしいのです。真の父母様のような責任感と熱意を持って、この伝統を私達イスラームの兄弟に、キリスト教の兄弟に、ヒンズー教の兄弟に伝えてくれるように願います。…(中略)…神様の下の一家族として一体化し、もうどんな分裂もない世の中を作りましょう。皆さんがするべきことは、世の中の兄弟姉妹に手を差し伸べ、真の父母様の血統に接ぎ木させ、真の父母様が作られた基盤を拡大していくことです。…(中略)
世界的基盤を相続するためには、世界にいたるすべての段階を踏まなければならないと、お父様はよく言われます。ですから、個性完成をなし、氏族的メシアの使命を完成しなければならないということです。…(中略)…それで、氏族的メシアの使命がとても重要です。これは国を復帰することができる公式路程です。
(『神様の夢の実現』57~59ページ)
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1991年の真の神の日に、当時21歳の顯進様が語られたみ言を紹介しています。(2回目)前回は、摂理的歴史を通過して来られた神様の側から見れば、祝福を受けることゴールではなく、果たすべき使命の出発であるということで書きました。今回は、その使命の中身についてです。
私たち祝福中心家庭が果たすべき使命の中心は、正に氏族メシアです。顯進様は「それは、真の父母様から福を受ける自分の生活を通して、全ての相続を受けることができる場なのです。」と語られています。つまり、アベル氏族(血のつながった氏族)とカイン氏族(身の周りの知人、友人など)を愛し長子権を復帰する私自身の歩みを通して、真の父母様に似ることができる、そういう道のりを与えられたということですね。
「氏族メシアが成し遂げられなかったので、摂理は今日のような状況になった」ということを、多くの方々が感じておられると思います。ならば、これをもと返すためには、今からでも氏族メシアに向かっていくということになります。先日書いた、真の父母様の基準を心から受け入れるということですが、私たちはそれを氏族メシアの使命によって迫られている、と理解することができます。
ところで私は、原理のみ言を聴いたばかりの頃は、地上天国とは、すべての人が統一教会員になる世界だと思っていました。皆さんもそう思いませんでしたでしょうか?しかし本当はそうではなく、それはそれぞれの宗教という殻を脱ぎ捨てて、「そんなことより神様を中心とする理想家庭、一家族世界がもっと大事だ」と言うことができる世界だろうと思います。
ですから、氏族メシアは必ずしも統一教会員を作る使命ではありませんよね?私も親族をどうやって教会員にしようかと悩んだ時期もありましたが、「この伝統を私達イスラームの兄弟に、キリスト教の兄弟に、ヒンズー教の兄弟に伝えてくれるように願います。」と語られているように、氏族メシアという概念は、宗教団体の概念よりも高い概念で、人々を必ずしも改宗させる必要はありません。人類一家族世界実現の主人にしてあげれば良いのだと思います。
氏族メシアは、1945年当時にキリスト教がお父様を受け入れていればその時に出発したはずの、本来的な摂理であり、家庭連合というのも本来はそのような方向性に向かわなければなりません。ところが現在の家庭連合は名称が変更されただけで、その在り方は荒野時代の宗教団体そのものです。早く脱皮しなければならないと思います。お父様は、2008年5月14日に「統一教会を解体しなければなりません」と語られました。正に、このことを指しておられると思います。「新しいぶどう酒は、新しい皮袋に」ということですね。
最後に自叙伝250ページから引用です。
「宗教の間に立ちふさがる壁を崩さなければ、絶対にこの地上に平和は訪れてきません。宗教は、すでに数千年の間、全世界の多くの民族と連合して大きくなってきたので、文化的垣根が非常に高く、それを崩してしまうことはとても大変なことです。それぞれ異なる宗教が高い壁の中で、自分だけが正しいと主張しながら数千年を経てきました。時には勢力を広げようと、他の宗教と対立して争うこともありました。神の御旨でもないことに、神の名を掲げたのです。」
振り返れば、すでに私たちが特定の宗教団体を掲げることが、神様のみ旨に反する時代が来ているのに、それに拘ってしまっていたということですね。宗教の殻を脱ぎ捨て、氏族メシアに移行することが、国家復帰の公式路程なのでした!
「統一教会はもう解散したから安心して!」と言った方が氏族メシアが進むと思った人は「解散だ!」と叫びながらクリック!!
≪顯進様のみ言抜粋≫
『私の国の統一と氏族的メシアの使命』(米国・ニューヨーク世界宣教本部、1991年1月1日)より
神様は、人間が責任分担を果たすことによって、神様の完全な対象になるという理想を持っておられました。人間は真の愛の基準を立て、神様と授受作用をするための基台を立てなければなりませんでした。ところが、アダムとエバは神様のみ旨を破り、サタンの基準を受け入れ、サタンを中心とする四位基台を造ってしまったのです。このような非原理的行動をしなければ、地上には既に理想世界が成就されていたはずなのです。私たちは現在、復帰摂理時代を生きており、神様の理想が成就されていないこの世界を、再創造するべき責任があります。このことをもっとはっきりと理解するには、歴史を見なくてはなりません。摂理的歴史を理解しなくては、真の自我を発見することはできません。…(中略)
今日、真の父母様が来られた理由が、まさにここにあるのです。イエス・キリストの勝利を、この世で実体化することにより、霊肉共の完全な救いをなすためです。
第二次世界大戦の直後、真の父母様がこの世を復帰できる基盤が造られていました。もし韓国のキリスト教が1945年に、真の父母様を受け入れていれば、全世界の復帰は、それから7年以内で完了されていたと、お父様は言われました。・・・(中略)
しかし、悲しいことに、韓国のキリスト教は真の父母様を受け入れなかったという事実を私達はよく知っています。それゆえにお父様は、人間の肉的救いの基盤を再び立てるために、孤独な道を歩まなければなりませんでした。・・・(中略)
お父様は1960年に、真のお母様との御聖婚によって真の父母の位置を立てることができたのです。・・・(中略)・・・その基盤の上に、初めてこの世界が完全に復帰できるのです。・・・(中略)
祝福は、神様が人間に与えることができる最も貴重な贈り物です。祝福によって、神様は皆さんの血統を、真の父母の真のオリーブの木の根に接ぎ木されるのです。この祝福の基盤の上で、皆さんは自分の先祖と後孫まで救いを受けることができる道が開かれるのです。
(『神様の夢の実現』54~57ページ)
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今回から、1991年の真の神の日に、当時21歳の顯進様がお父様から願われて語られたみ言を紹介していきます。この日に発表された年頭標語は「私の国の統一」でした。顯進様はこの標語を氏族的メシアの使命と関連付けて解説してくださっています。今回はその導入の部分です。
今回抜粋した部分のように、顯進様はよく神様の創造理想、人間の堕落、復帰摂理歴史という歴史全体の流れを解説してくださいます。そのような時、私たちは何となく、当たり前の話を何度も聴かされているような感覚でいます。(私だけでしょうか?) しかし実は、私たちがよく分かっていないから顯進様は何度も説明されるのだと思います。
顯進様は、「摂理的歴史を理解しなくては、真の自我を発見することはできません。」と語られていますが、これは何を意味しているのでしょうか?顯進様に直接質問したわけではありませんが、私の考えを述べます。それはつまり、自分自身を、自分の側から見るのではなく、神様の側から見なければならない、ということだろうと思います。
以前、ある牧会者の方が、「原理はこっち側からではなく、あっち側から見なければならない」と深みのある表現をされていましたが、同じことだろうと思います。もう少し詳しく述べます。
例えば、私自身は昔フラフラ生きていたところに、突然神様の側から声をかけられてこの道にやってきて、祝福までいただきました。しかし神様の側からすれば、創造理想を描いて天地創造に着手し、しかし人間の堕落によってその理想が破られ、絶望の中から決意して6000年の復帰摂理路程を歩んで私を探し出したということです。それを私は知りませんでした。 それだけでなく、4000年歴史の結実であったひとり子イエス様を殺害され、さらに2000年後に送られた再臨主はキリスト教から荒野に追い出されました。さらに第一のエバが奪われ、第二のエバも奪われ、ようやく第三のエバを探し出して祝福の歴史が始まりました。しかしその祝福をいただいた私は、そのような痛みを知らずに喜んでいました。
ですから、「こっち側(私の側)からではなく、あっち側(神様の側)から見なければならない」ということですね。そのような摂理的歴史(神様の歴史)を知らなくては、神様にとって私は一体何者で、何を果たさなければならないかが分からない、ということだと思います。
私自身、かつて祝福を授かって「これで救われた」と私の立場で喜んだ訳ですが、神様の側からすれば、実はそれはゴールではなく果たすべき使命の出発でした。顯進様はそのように強調されます。長い長い摂理歴史を歩んで来られた神様にとって、その時の私の姿がどれ程物足りないものであったのかと、反省させられます。「おい、そこで安心して休むな!」とひっぱたきたかったでしょうね。
今、「どちらの聖酒を飲むのか?」というような話題があるかと思いますが、その後に果たすべき使命こそが、もっと重要なのだと思います。
なんだか「あいたたた…」という感じがする食口はクリック!!
≪顯進様のみ言抜粋≫
『真の父母様の基準と伝統』(米国・ベルベディア修練所、1988年5月8日)より
皆さん、私たちは最後の瞬間まで、真のチャンピオンになるべく戦わなければなりません。馬に乗ることにしても、私ができないと考えたならば、最初から始めもしなかったでしょう。私には実際に、色々な不利な条件が沢山ありました。私が馬に乗り始めて、わずか3年しか経っていなかったのですが、…(中略)…オリンピック・ゲームにまでも挑戦をしているのです。…(中略)…韓国の乗馬選手たちを見ると、みな20年以上の経歴を持っていました。有名な大部分のアメリカの選手たちは、すでに5歳の時から乗馬を始め、今40代の人たちです。それだけでなく、彼らは最高水準の良い馬に乗るのです。私たちが持っている馬は、それと比べることすら出来ない馬です。こういう状況で、私は希望を放棄することもできました。「見込みがないから私は出場しない」ということもできるのです。しかし私は、最後の瞬間まで戦おうと思います。これが私の信念です。…(中略)…私の本当の敵は、私自身だということをはっきりと分かりました。
お父様が、教会指導者たちに方針を与える時ごとに、彼らはそれが不可能だと考えます。しかも彼らは、ご父母様が勝利して築いて来られた基盤さえも破壊しようとするのです。こうしたことから、皆さん自身が皆さんにとっての最大の敵だということがわかるでしょう。…(中略)…皆さんは、本当に真の父母様を信じていますか?(はい)そうならば、私たちは、いかなる障害があるとしても、前に前進するのみです。ありがとうございます。
(『神様の夢の実現』51~52ページ)
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顯進様が19歳の時に語られた説教の続き(8回目・最終回)です。
前回は、「真の父母様と一つになる」ということは、「指示に従う」という基準ではなく、「複製(コピー版)のようになる」ことだということで書きました。私たちがそうなることを、顯進様は切実に願われていました。
今回は、まず乗馬のことに触れられていますが、この時は、ソウルオリンピックに韓国代表選手として出場される数か月前です。わずか三年間の乗馬訓練と、他の選手の馬とは比較すらできないような馬で、そのような偉業を達成されようとしている時でした。顯進様は、たとえ達成不可能なことのように思えても、最後の瞬間まで勝利のために戦い続けるということを宣言されています。(重ね重ね、とてつもない19歳ですね。)
一方で実際の摂理現場では、教会指導者はお父様の指示を不可能だと諦めるだけでなく、基盤を破壊しようとまですると語られています。・・・私たちが「不可能だ」と考えることが、摂理を妨げてきたということです。
実際、神様と真の父母様からすれば可能なことが、私たちには不可能に見えているということが多々ありました。顯進様がよく「真の父母様の基準を心から受け入れる」と語られることは、こういう部分においてもよく当てはまると思います。真の父母様を信じているだけでなく、真の父母様が信じていることを私も信じないとダメですね・・・。
今の統一家の分裂状況を見て、多くの食口が諦めを感じているかも知れません。しかし、神様は役事しようとされているし、霊界のお父様も諦めてはいらっしゃらないでしょう。最大の敵は、私たちが「不可能だ」と考えてしまうことです。オリンピックに不屈の精神で挑戦された顯進様のように、最後の瞬間まで一つになるために戦うことが必要ではないでしょうか。
私自身、現在のような状況に対して、当初は諦めの心が強くありました。そして「誰それが失敗したから」とか「手遅れだから滅びてしまえ」というような裁きの心がありました。しかし神様は違うし、霊界のお父様も違う、そして顯進様も違うということを感じるようになりました。つまり信じて、愛して、責任を持たれていると感じるようになりました。
私も何とか頑張って、そのような姿勢を持つ努力をしたいと思い、今はその途上です。その姿勢を持った上で、何が正しいのか、何が真実なのかという議論も実を結ぶのだと思います。
有名なお父様のみ言が浮かんできました。
「常に信仰が大きいときには現実が小さく見えるし、信仰が小さくなる時には現実が大きく見えるようになる」(『み旨の道』432ページ)
「何だかできるような気が、うっすら出てきた」という食口は、迷いを棄ててクリック!
≪顯進様のみ言抜粋≫
『真の父母様の基準と伝統』(米国・ベルベディア修練所、1988年5月8日)より
お父様は、100人の真の統一教会信者さえいたならば、7年以内に天国の基礎を作ることができたはずだとおっしゃっていました。・・・(中略)
皆さんが真の父母様と一つになるということは、真の父母様の複製のようになるという意味です。ですから、真の父母様のために生きるということは、真の父母様と同じようになるということで、その方の手や足、そしてその方の声になるということです。・・・(中略)・・・私はお父様のこれまでの生涯に関する文を読んでは、数えきれない程涙を流しました。そしてどうすれば私が、そのように偉大な父母に侍る立場に立つことができるのかを考えました。私はその方の息子になるには、不足な点が多々あります。私が私自身を見る時、それに値しないと感じるのです。しかし私は、ここで止まろうとは思いません。私は堂々としたお父様の息子になるべく努力するつもりです。皆さんはどうですか?皆さんは、単純に統一教会に入ったので、真の父母様の息子と娘になったと考えますか?今の姿そのままで十分だと思いますか?
皆さんは真の統一教会人、真の子女になるべく努力しなければなりません。皆さんは最も偉大な父母に侍っています。私の信念は、時が経つにつれて強くなります。皆さんも同じでなければなりません。それが正に皆さんに与えられた5%の責任分担です。私が今日皆さんに心からお願いしたいことは、皆さん全員が真の父母様の息子娘だという、絶対的な信念を持ってほしいということです。それが私たち皆が願うことです。皆さんがそうなるならば、私は皆さんを抱きしめて、感謝の涙を流すでしょう。
(『神様の夢の実現』41、49~51ページ)
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顯進様が19歳の時に語られた説教の続き(7回目)です。
前回は、理想世界を成し遂げようという信念で武装し、真の父母様の基準を心から相続するということで書きました。
今回は、まず、「真の父母様と一つになる」という意味についてです。それは「ついていく」とか「指示に従う」という次元ではなく、「複製(コピー版)のようになる」という意味だということです。・・・お父様の弟子のつもりでいた自分自身が恥ずかしい限りです。
そして、顯進様はお父様の生涯路程を学ばれ、数えきれない程涙を流されたというお話です。私もお父様の生涯について、少しは知っているつもりですが、数えきれない程涙を流したとまでは言えないと思います。
顯進様は単に実の息子だからというだけでなく、お父様と同じ夢を追いかけ、同じ基準を目指し、同じだけの責任感を持って歩まれたからこそ、お父様の通過された心情世界をありありと理解し、19歳にして数えきれない程涙を流すことができたのだと思います。
そしてそのような顯進様が、ご自分をまだまだ不足であると語られ、時が経つほど更に前進し、更に強い信念を持って歩んでいくということを宣言されています。
私もそのような、真の統一教会人にならなければと思います。確かに、そのようなお父様の複製のような人が100人でもいれば、天国の基礎はすぐに築かれたに違いありません。
最後の「皆さんがそうなるならば、私は皆さんを抱きしめて、感謝の涙を流すでしょう」というみ言からは、お父様が15歳の時に書かれた『栄光の王冠』にある、「あなたも私のように愛するならば、私はあなたに栄光の王冠を捧げましょう」というみ言に印象的に非常に重なるところがあり、驚きました。
お父様も顯進様も、ご自分が神様の絶対的な息子として歩むだけでなく、同じように後に続く者が現れることを、切実に願われました。今も、そうだと思います。
「今からでも絶対的な息子娘を目指します!」という食口は、明日に向かってクリック!!