私自身は顯進様が摂理的長子であられると確信しています。 しかし、顯進様お一人ではなく、神様を中心として真の家庭の四位基台がなされてこそ実体的天一国の出発を成すことができます。 真の家庭理想の復活のために、祈りを込めて書きたいと思います。
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澤田地平氏が松濤本部前で行っているデモ活動に対して、無言を貫くしかない家庭連合です。どんなに弁護しようとしても、お母様のクリスマス発言「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」は限界線を越えてしまっています。言っていること自体は澤田地平氏の方が正しいので、どうしようもありません。
もしも家庭連合が反論できる道があるとすれば、「確かにお母様のクリスマス発言は間違っている。しかし私達はサンクチュアリ教会のように、お母様を口汚く罵ったり、処刑するなどと言ったりしない。お母様が正しい道に戻られて責任を果たされるように、お支えしていく」ということだけではないでしょうか。
そしてお母様がお父様とは異なる信仰を持っておられたことを認めた上で、過去七年間に起こった出来事を振り返っていただきたいものです。そうすることで顯進様に対して持っていた誤解がすべて解けていくであろうと思います。
このような混乱の中で弁解もせず、正しい道を歩んでこられた方が誰なのか、松濤本部の職員の方々も分かってきているのではないでしょうか?松濤本部の方々の良心に期待したいものです。
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松濤本部の職員は、お母様の「クリスマス発言」を糾弾する声によって悩まされています。サンクチュアリ教会の澤田地平氏が毎週日曜日に松濤本部前に立ち、デモを行っています。「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし、これは本当ですか?」と聞かれれば、心の中では「お父様は無原罪だ」と思っていても、今のところ口を閉ざすしか方法が無いようです。(あるいは、教義をすっかり「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」に変更して、そういう一つの宗教として存続しようと考える方もいるのでしょうか?)
そんな中、家庭連合側のサンクチュアリ教会に対する見方はどうでしょうか?原理を理解していて、人格的であり、ある程度しっかりと状況を見つめている責任者であれば、サンクチュアリ教会が正しいとは思っていないはずです。亨進様の暴言を見れば、生前のお父様の姿とはかけ離れていることを感じます。また、國進様はお母様に対して、「処刑」という言葉まで使われています。(韓氏オモニの実体堕落検証と亨進様・国進様との質疑応答<全文> (2016年10月31日)) ですから家庭連合側の責任者から見て、「お父様は原罪あり」というお母様の発言は間違っている、と内心で思っていても、それをもってサンクチュアリ教会が正しいとは思わないはずです。
一方で、顯進様はお母様の状況が初めからこのようなものだと理解しておられても、近しい責任者に対してすらも、ギリギリまでそのことを口にはされませんでした。そして「真のお母様は私達のアイデンティティの根源です。真のお母様を完全否定してしまうことは、真のお父様を否定することにもなります。真のお母様が元のお母様に戻ってこられることが、たった一つの全体一体化の鍵です。」(新年の顯進様のメッセージ)と語られています。
そして、お母様をあからさまに否定される亨進様に対しては、「お母様を否定することは、真の子女としての自らのアイデンティティの根っこから、自分を切り離すことになってしまう」と心を痛めておられるそうです。お母様を否定することは、お母様を50年以上も愛し教育して来られたお父様を否定することにもなってしまいます。父というのは母があっての父ですから、お母様が真の母でないなら、お父様も真の父ではなくなってしまいます。ですから顯進様はあくまでもお母様を真の母として守ろうとされています。
先日、韓国で行われた真の神の日の集会において、顯進様は真の家庭に対してご自身が責任を持つと、改めて語られたそうです。さらに、「家庭連合のリーダーであっても悔い改めてやってくるならば、私が受け入れないと思いますか?(思いません)そうでしょう。」と語られました。
お母様の発言がここまで来て、この7年間で何が起こってきたのか、そろそろ誰の目にも分かる時が来ているように思います。『統一教会の分裂』という本がありました。松濤本部の職員でも読んだ方がいらっしゃるだろうと思います。あの内容は顯進様サイドでも「違う部分がある」と言う方がいますが、それでも多くの部分においては事実と重なるだろうと思います。お母様の「クリスマス発言」が出た上で、もう一度内容を吟味すれば、合点がいく部分が多いはずです。そして顯進様の真実が見えてくるはずです。
真の家庭が一つにならなければ、永遠に地上天国は現れません。このような状況の中で、真の家庭を再び一つにできるのは顯進様だけだと思いますが、いかがでしょうか?
家庭連合が顯進様を「郭グループ」と呼び「分派」扱いするようになって7年が過ぎました。もしも顯進様が反対に裁こうと思えば、「お父様は原罪あり」を支持する家庭連合を「分派」扱いするのは非常に簡単なことではないでしょうか?しかし顯進様は祝福によって結ばれた血統的な約束を守り続けておられ、今も祝福家庭を「家族」として見つめておられます。
このことを知れば、家庭連合が顯進様を「分派」とするのを終わりにすべきであることは、あまりにも明らかなことです。
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久しぶりに記事を投稿します。松濤本部前で澤田地平さんというサンクチュアリ教会へ行った方が、デモ活動をされています(審判回避プロジェクト「真理を問う行動2.5報告」)。この松濤本部前での争いを一般目線で見ると、どちらも「カルト」に映ってしまうと思いますので、やり方が最善であるとは思いませんが、お母様の「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」発言に対する問題提起は必要だと思います。
お母様の「独生女」論は2014年7月1日に初めて語られた時から、本音としてはこのような主張だったと思われますが、その本音は段階を踏んで小出しにされてきました。しかし亨進様の証言によれば(記事下、参照1)、2014年7月1日よりもっと以前からプライベートな空間ではそのように発言されていたようですし、それを支持する幹部も存在したようです。お父様もそのことを警戒するみ言を語られています(記事下、参照2)。
お母様のいわゆる「クリスマス発言」の前までは、家庭連合は、「お母様は原罪なし」ということに関しては色々なみ言を引っ張り出してきてその正統性を示そうと一生懸命でしたが、「お父様は原罪あり」に関しては、何の反論もなく、反論を「保留」しているように見えました。私自身も当ブログで2016年10月20日の「家庭連合が反論を保留していること」という記事で、以下のように書いていました。
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もしも「お父様は堕落の血統だ」とお母様が仰っても、それでもお母様を支持しようと考えて反論を保留しているのだとしたら、それはそれで「どえらい」方々です。
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その後、「やはり」と言うべきか、お母様のクリスマス発言が飛び出してきて、騒ぎになっているという状況です。
家庭連合はまだ、お母様のクリスマス発言「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」について、具体的な発言をせず、無言を貫いています。松濤本部前の動画を見ても、澤田地平さんの訴えに対して、本部の澤田さんは文字通り「無言」です。
家庭連合側の立場に立って考えると、非常に苦しい立場に立たされています。2014年7月1日のお母様の「独生女」発言の時点では、み言の内容に多少の違和感はあっても、基本的にはお母様を信じて行こうと考え、お母様の発言とお父様のみ言との整合性をとるために苦労してきました。当初は「血統転換、私は胎中からなのです」でしたが、そのうち「無原罪」という言葉が飛び出し、その時もお母様を弁護してきました。さらに、「お父様は原罪あり」が飛び出しました。それでもお父様のみ言の中から、捉え方によってはそのようにも捉えられるみ言を引っ張り出してきて弁護しました。しかしどんなにみ言を引っ張り出し、どんなに頭をひねっても、「お父様に原罪があると捉えれば、もちろんお母様にもある」というところが限界です。しかし最後に今回のクリスマス発言「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」尚且つ「お母様がお父様の原罪を清算した」が出てきたのです。
お母様を信じて弁護してきたことが、気が付いたら、とんでもないところまで行ってしまいました。
家庭連合の本部は困り果てているはずです。ここにきて、それがお母様の「信仰」であることが分かってきたのです。2005年にお父様は、お母様がお父様のみ言とは別のものを信じておられることを語られました。
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「お母さんは、自分が6歳の時だかに道行く僧侶が現れて、娘一人いる大母様に対して『心配するな。この娘が大きくなったら、陸海空軍を動かす世界の王と結婚する』と言ったとして、それを今まで自慢していました。お母さんはそれを信じていました。私が話すことは信じることができずに。」(『み言葉選集』491巻247頁、2005年3月22日)
---- 引用終了 ----
また、顯進様はお母様のために、2014年1月31日(陽暦の真の神の日)に以下のように祈られています。(記事下、参照3)
---- 引用開始 ----
偽りの約束と誤解によって閉ざされた私の母の霊的な目と耳と心情を開いてください。
---- 引用終了 ----
しかしながら家庭連合本部はそのような事実を受け止めることができず、クリスマス発言の直前まで、お母様の発言の正統性を示そうと努力してきたことによって、すでに完全に「共犯」にされてしまっているのです。
初めからこうなることが分かっていたら、2014年7月1日の時点から弁護はしなかったでしょう。最初に一歩譲ったら、最終的に百歩譲らなければならなくなる話でした。真実は「お父様は原罪なし、お母様は原罪あり、お父様との聖婚によりお母様は原罪清算された」です。今からすべての前言を撤回して真実に帰るには、余りにも恥ずかしさが伴うに違いありません。数々の偽りを弁護した講義ビデオがすでに残ってしまっているのです。
こうして「引っ込みがつかなくなった家庭連合」という状況になっています。家庭連合本部の方々にはどうか、信仰的良心に立ち返っていただきたいと思います。かく言う私も、少し立場が違えば、もしかしたら家庭連合本部の方々のような判断をしていたかも知れませんので、責める気持ちはありません。
この場合、お母様をお支えするとは、どのようなことですか?お母様がお喜びになる言葉だけを連発することでしょうか?お母様にとっては「苦い良薬」を差し上げることでしょうか?
(参照1)サンクチュアリNEWS「【重要】最後のメッセージ」
(参照2)金容成のブログ「お父様は堕落の血統であるという主張が、核心勢力の間では慣行的に主張されてきた」
(参照3)神と共に生きる真なる息子娘として「7年大患難のみ言を振り返る2」
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≪顯進様のみ言抜粋≫
コミュニケーションは難しい分野ですが、組織がいつもここにこだわっている理由は、組織が完全な信頼性を維持したいと思っているためです。最初は、皆さんが言うことに拒否感を感じる人がいるかもしれませんが、確固とした決意を示し、それを維持し続ければ、皆さんはその一貫性のために信頼を築くことができるでしょう。・・・(中略)
このように私たちが行っていることは、関係性の構築です。私たちはアベル圏として、カイン圏との関係を築いているのです。この時、私達がどのような人であるのか、よく理解できるように、正しくコミュニケーションをしなければなりません。・・・(中略)
カルチュラル・アラインメント(文化の一致)を築き、コミュニケーションを拡大するための持続的努力をすることが、私たちが前進して行くための最善の方法です。それは世の中が、私たちに対して持っている偏見を取り除いてくれるでしょうし、私たちにそれを拡大するために、より多くの機会をもたらすことになるでしょう。・・・(中略)
組織の外部の人がCARPは何故、語っている内容がこうも変わるのかと感じたら、その人たちはCARPのアイデンティティーを明確に知るよりも、非常にいらいらし混乱するとは思いませんか。・・・(中略)
コア・バリューの役割は何でしょうか。それは私たちがいかなる者であり、私達が何を代弁し、私達の考えが何であるかを明確にするものです。・・・(中略)
今や皆さんが現場でコア・バリューを具体化しなければなりません。そうすれば、コア・バリューというレンズを通してすべての物事を見つめ、皆さんが行う全ての行動が、コア・バリューにアラインしているかをモニタリングできるようになるのです。その過程で何が起こりますか。私達自身が主張し信じていることの生きた実体になることによって、メッセージに一貫性が確立され、優れたコミュニケーションの土台が築かれるのです。
(『神様の夢の実現』208~210ページ)
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顯進様が2003年にW-CARPの国際教育カンファレンス(IEC)の閉会式で語られたみ言の抜粋です。(4回目)
統一運動がずっと苦しんできたことは、世間から信頼されない、ということではないでしょうか?荒野時代において、正しいことのために歩んでいるのに、世間から誤解と偏見の目で見られてきた、ということがありました。1955年の「梨花女子大学事件」などはその代表的な例だと思います。
しかし一方で、自分たちがやってきたことの故に信頼を失ったことも多かったですし、実際に「本音と建て前」を使い分けて歩んできたことが、不信感につながったことも多かったのではないでしょうか?「そんなことはない」と反論される方は、統一運動においてどれだけ表に出せない話が多いかを考えてみてください。
家庭連合の宋龍天総会長が出した方針の一つに「社会的イメージの転換」というものがあります。そのために広報渉外局が一生懸命に努力をしているようです。しかし本質的には「本音と建て前」の問題が解決されない限り、本当の意味で社会の信頼を得ることはできないでしょう。
顯進様が教育されたコア・バリューによって文化の一貫性をなし、カイン圏からの信頼性を維持するというのは、「本音と建て前」問題に対する根本的解決策の提示だと私は思います。
統一運動がいかなる運動か、ということは、コア・バリューを見てもらえば分かるし、そのコア・バリューの如くに歩んでいるその実体を見てもらえばさらに分かる、という話です。
荒野時代は、「宗教」を立てて歩まざるを得ない時代でした。故に宗教団体としてのロジック(例えば、信徒数の拡大)が常に本音として存在する中で、建て前としての「超宗教」、「世界平和」を掲げて歩んでいました。「如何なる時にも教会や教派の発展が目的にはなり得ない」という信念はお父様が統一教会創立時から強調されたことでしたが、残念ながら実際に統一教会が発展する過程では、常にこの文化の葛藤が存在しました。特にお父様がご高齢になられてからは、主導権が幹部によって握られたこともあり、統一教会という一個の宗教団体の利益が優先される否定的な文化が勝つことが多くなってしまいました。
統一運動は、第一に「より大きな善のために生きる」ことで、教団の発展ではなく、純粋に国家と世界の平和と発展のために存在するということです。そのような観点から見れば、伝道活動において第一義は、地域社会、国家、世界の平和と発展のために立ち上がる人を作るということであり、教団に対して従順に所属する人を作ることではないはずです。また渉外活動において第一義は、教団の味方になってもらうことや、著名人が参加することで大会に箔をつけることではなく、お互いに主人として協力することで、共通のビジョンを成し遂げることであるはずです。
第二に、統一運動は、神の下の人類一家族世界というビジョンに主人意識をもち、誰よりも自己を犠牲にして投入する人々の運動であるはずです。第三に、教団や組織の枠を越えて他の多くの個人や団体を尊敬し尊重しながらチームワークを形成しなければなりません。世界平和のために、私たち以外の宗教や団体が貢献し活躍することは、素晴らしいことです。共に成していかなければなりません。第四に、One Family under Godという夢は神様の夢であり、人類共通の夢です。決して統一教会が世界で一番の宗教になるというような狭い夢ではありません。
このようなコア・バリューによる一貫性を確立し、その実体となって歩んでいくならば、世の中の人々と正しいコミュニケーションが確立され、信頼性を築き、維持していくことができるはずだということです。
私の理解はまだ拙いものだと思いますが、それでも統一運動が大きく方向転換する希望を見出すことができます。
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≪顯進様のみ言抜粋≫
私は、コア・メンバーに与える効果についてだけ話しているのではありません。カイン圏に対してまでも、与える効果について話をしているのです。・・・(中略)
このように、世界は混沌となり、危険な状態になっています。この危険と混乱は、冷戦時代よりもっと現実的なものになりました。
ですから、世界は、それぞれ違った伝統を持ったグループに実体的変化をもたらすことができるリーダーシップを、どれほど必要としているでしょうか。それは、ただ宗教家や宗教指導者のための、宗教的次元の解決策ではないのです。特定の政治団体や政治家のための、政治的な解決策でもありません。そして、特定民族や氏族のための解決策でもないのです。コア・バリューは普遍的なものでなければなりません。これは否定的な文化から派生した、あらうる葛藤と憎悪など、すべての否定的なものを根本的に除去するものです。コア・バリューを実体化したリーダーシップこそ、最も普遍的な解決策であり、すべての人々が共感できるものなのです。
(『神様の夢の実現』207~208ページ)
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顯進様が2003年にW-CARPの国際教育カンファレンス(IEC)の閉会式で語られたみ言の抜粋です。(2回目)
統一原理は、普遍的な原理であるにも関わらず、私たちはこれを統一教会の教義として狭めて理解してきたために、伝道活動において多くの人々(伝道対象者)が拒否反応を示すのを見てきました。
私の経験上、多くの場合、その拒否反応は「人類一家族世界」とか「ために生きる」というような統一原理が示す中心的価値観に対してではなく、細かい部分に対してであったり、あるいは、統一教会という特殊な宗教に帰依させようとするような意図を感じた場合に現れていました。
日本人の場合、「神様」に拒否反応を示す方もいますが、一方でマザーテレサやキング牧師、ガンジーといった方々が神様を信じていることに対して、「怪しい」とか「カルトだ」などと感じる方は少ないのではないでしょうか。それはそういった聖人とか偉人とか言われる方々が目指した目的や価値観が正に普遍的なものだったからではないでしょうか?
キング牧師の運動に参加した多くの人々は、細かな教義がどうだこうだということを理解したのではなく、自己を犠牲にしてでも自由と平等、平和を目指す姿に心情を揺さぶられたために、参加したに違いありません。
当然のことながら、お父様の生涯の目的と歩みは、マザーテレサやキング牧師、ガンジーといった方々に劣るものではないと、私は思います。それにも関わらず、私たちはなぜ、お父様の生涯と原理を伝えるときに、こんなにも心情を動かすことができないものとして伝えてしまっているのでしょうか?
原理の中で最も重要なことは何でしょうか?原理をどのような文脈の中で伝えるべきなのでしょうか?お父様が原理を解明されるようになった動機は何でしょうか?それは多くの人々が心情から共感できるものであるはずではないのでしょうか?
私たちはこの部分を理解することができず、統一原理を統一教会の教義として狭めて理解し、統一教会という宗教団体の教勢を拡大するため信徒獲得の説得材料としてのみ用いてきたために、多くの拒否反応を見てきました。
コア・バリューのレンズを通して、私たちは正しく原理をみつめ、正しく実践し、宗教を超え民族を超え、国を探して人類一家族に向かう道を見出すことができると思います。
お父様の自叙伝『平和を愛する世界人として』より引用します。
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(14ページ)私は生涯一つのことだけを考えて生きてきました。戦争と争いがなく世界中の人たちが愛を分かち合う世界、一言で言えば、平和な世界をつくることが私の幼い頃からの夢でした。
(16ページ)物心がついて以来、今に至るまでの私の人生のテーマはただ一つ、世界が一つになって平和に暮らすことです。他のことは眼中にありません。昼夜を問わず平和のために生きることは容易ではありませんが、ただひたすらその仕事をする時、私は幸福でした。
(19ページ)私はその希望の紐をつかんで放さず、生涯、平和を夢見て生きてきました。私の願いは、世の中を幾重にも囲んできた塀と垣根をきれいさっぱり壊して、一つになる世の中をつくることです。宗教の塀を壊し、人種の垣根を取っ払い、富む者と貧しい者の格差を埋めた後、太古に神様がつくられた平和な世の中を復元するのです。
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このようにお父様が生涯追いかけた夢は、全人類の良心が共鳴できるものであったはずです。
コア・バリューの詳細な実践項目の一番最初に、Align(アライン)という項目があります。「私は、神様のビジョンと価値、目的にアラインする」というものです。今まで私たちが統一原理やお父様の生涯を見つめる観点は、神様のビジョンと価値、目的に対するアラインメントがずれた状態だったと言えるだろうと思います。
「独生女」理論も、「二代王」の強調も、この点で外れていて、全人類の良心が共鳴できるものではありません。
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