私自身は顯進様が摂理的長子であられると確信しています。 しかし、顯進様お一人ではなく、神様を中心として真の家庭の四位基台がなされてこそ実体的天一国の出発を成すことができます。 真の家庭理想の復活のために、祈りを込めて書きたいと思います。
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≪顯進様のみ言抜粋≫
『心情文化の主人』(第三回W-CARP IEC開会の辞、韓国・牙山、2003年7月9日)
私は、教会のリーダーに話す機会が多くありました。その度ごとに、私は多くの点で、リーダーたちに厳しく当たってきました。私の責任は何でしょうか。私の責任は、真の父母様の息子として、アベルとして、兄として、本然の基準と文化を教えることです。それはなぜでしょうか。皆さんに、自分の5パーセントの責任分担があるからです!皆さんが、例え自分を祝福中心家庭だといっても、それに見合った資質を持っていなければ、真の家庭の一員としてふさわしく立つことはできません。外部のカイン世界に対しても、アベルの立場に立つための資格が必要なのです。ですから私は、いつもリーダーたちに辛く当たり、指導しようとしているのです。
私は、もし自分が変わりたいのなら、自分がどの位置にいるかを知らなければならないという、一つの原則に従って活動しています。それで私は、遠回しな言い方はしません。皆さんがここに座っていたら、「座っていますね」と言うのであって、「ああ、華麗に座っていますね」とは言いません。私は簡単明瞭に語ります。私の観点から何か正しくないことがあったら、それを優しく遠回しに言う為に、美辞麗句を使いません。正しくないものは正しくないのです。これは変える必要がある。これが私の思考方法です。
(『神様の夢の実現』178~179ページ)
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顯進様が2003年にW-CARPの国際教育カンファレンス(IEC)で語られたみ言を紹介しています(4回目)。IECはW-CARPの指導者育成の一環として行われたものです。
今回はとても分かりやすいお話です。顯進様はとても率直な方ですと、顯進様の近くで歩むリーダーの方々は言いますし、ご自分でもそのように語られています。そして率直である理由は、私たちに祝福中心家庭としての責任を果たさせるためだ、ということです。
統一教会のリーダーの方々は、統一教会を創立すること自体がお父様の本来の使命ではなく、仕方なく始まった蕩減の道のりであったということを本当の意味で理解できていません。実際には、私達がお父様と共に再臨摂理のために何をやってきたのか?と自問したときに、答えは残念ながら「私達はまだ何もやっていない。ゼロである。それはこれからである」なのです。ようやく蕩減の穴が埋まり、これから定着時代の本来の使命を果たしていかなければならないところなのです。
統一教会を創立することがお父様の本来の使命ではなかったということを理解するということは、言葉を換えれば「私はお父様の下で何十年も共に歩んできた。私は統一教会の歴史を支えてきた」ということを誇りに思うのではなく、「今ようやくスタート地点に立った、私はまだ何もやっていない。私はまだはるかに足りない」と、これから果たすべき使命に焦点を当てるということです。またそれは、本来最初にみ言を聞くべきだった準備されたキリスト教のリーダー達のレベルと、自分自身のレベルとを率直に比較してみることでもあるかも知れません。
顯進様はそのことを多くのリーダーたちに指摘されました。顯進様は「美辞麗句を使いません」と仰っています。それはとても素晴らしいことで、私たちに必要なことだと、私は思います。しかし、それまでたくさんの「美辞麗句」を浴びてきた人にとっては、そのギャップは大変なものだったことでしょう。
≪顯進様のみ言抜粋≫
『心情文化の主人』(第三回W-CARP IEC開会の辞、韓国・牙山、2003年7月9日)
皆さんは、堕落人間の文化が何だと理解していますか。それは利己的であり、自己中心的な文化です。…(中略)
最初のエデンの園で蒔かれた種が、自己中心的な文化として結実した今日の現実は、決して驚くには値しないのです。そうではありませんか。
それでは、皆さんは、この自己中心的な文化にどう対抗しますか。単に観念的な地上天国ではなく、実体的な地上天国の基盤をどうやって創り出しますか。それは、三大王権と四大心情圏を実際に完成した、本然の真の家庭からはじまる真の愛の文化を創り出すことによってのみ可能なのです。…(中略)
何が最高の伝道方法であるか知っていますか。それは私たちが、私達の理念、原理、理想を実現することです。それはまさに、優れた真の家庭を創り出すことを意味します。祝福中心家庭をなすことです!…(中略)
私たちは原理的理念は持っていますが、否定的文化が、私たちの中にまだ存在し続けています。このような習性は、外部の世界から運び込まれたものです。しかし今に至るまで誰も、まずこの文化を変えるという問題に取り組んだ人はいませんでした。私は皆さんが、周囲に影響を及ぼしたいのなら、まず自分の家庭から整理しないといけないと何度も強調してきました。私はUTSであった会議で、CARPリーダーたちに、私たちの最初の戦場は、まさにこの文化だと言いました。文化を変えることが、まさに私たちの最初の戦いです。それに私達が勝ったら、世の中を変えることができる位置に立つことになります。
私の周りにいる年配の食口らに、このような質問を何度もしてきました。「あなたが教会に入った理由は何ですか。自分の先祖を救うため、自分の先祖を復帰するためですか」このような動機はすべて誤りです。
原理的な観点から、私はカインを復帰するためには、アベルは犠牲の道を行くべきだという考えを持っています。最初の動機が、自分自身ではない、より大きな目的のために生きることであるべきだということです。別の言葉で言うと、皆さんが個人として忍耐する犠牲が、自己中心的な動機によってなされるべきではないということなのです。「自分が犠牲の条件を立てて、自分自身を救い、自分の家庭を救うべきだ」という偏狭な考えを持ったとすれば、皆さんは指導者になることができません。フォロワー(追従者)にすぎません。
アダムとエバが堕落して、神様から離れた時、神様を駆り立てて復帰摂理を出発させたものが、真の愛に根ざしているからです。したがって前線に立って、神様の摂理を進展させる者として、皆さんも実体的真の愛に根をおかなければなりません。そうでなければ、摂理を動かすことはできないでしょう。
(『神様の夢の実現』177~180ページ)
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顯進様が2003年にW-CARPの国際教育カンファレンス(IEC)で語られたみ言を紹介しています(3回目)。IECはW-CARPの指導者育成の一環として行われたものです。
前回は、文化がビジョンや目標を見つめる正しいレンズや視覚を与えるということで書きました。今回も引き続き、文化のお話です。
私たちの統一コミュニティの中で、真の愛の文化と自己中心の文化が激しく戦っています。その例として顯進様は、教会に入った動機について触れておられます。「先祖を救うため」という動機は偏狭であり、誤りであると指摘されました。
清平摂理は、お父様のご指示で始まったことは事実です。しかしどこでどうなったかは解りませんが、結果的にはお父様の願いに反し、私たち食口の文化が、より一層自己中心的(ご利益的)な方向へと強化されてしまったということは否めないでしょう。
もう一つ、私なりに例を挙げると、「誤った選民意識」というものがあると思います。2000年前のユダヤ民族は、本来は最初にメシヤを迎え、アベルとして犠牲の道を行きながら、地上天国を創建する使命を持っていました。しかし彼らは「選民」という言葉を自己中心的文化のレンズを通して捉えたため、大きな勘違いをしていたと言えるでしょう。イエス様は弟子たちが互いに誰が一番偉いかを言い争う姿に、何度も何度も心情的孤独を感じられました。
私達も祝福を受け、いわば「選民」のような立場に立てられました。これを自己中心的文化のレンズで捉えれば「私はすでに救われた」となります。子女に対する教育も「とにかく祝福だけは受けて!」になります。しかし顯進様は、祝福中心家庭はこれから果たすべき「使命」に焦点を当てなければならないと語られます。
このように、文化が違えば、まったく正反対の結果になります。この文化の戦いに勝利してこそ、「世の中を変えることができる位置に立つ」ということです。原理講論でいえば、ヤコブが立てた「アベルの立場を蕩減復帰するための条件」ということになるでしょうか。アベルを立てて祝福するのは、カインを救うためです。
自己中心の文化のまま経済的目標を追いかければ、結局、「霊感商法」などと言われるようになります。自己中心の文化のまま伝道目標を追いかければ、結局、「ご利益」というニンジンを垂らさなければ、伝道できなくなります。
顯進様は神様の摂理を担当する者として、まずは真の愛に根差した文化を持たなければならないと語られています。これを「理想的過ぎる」とか「観念論だ」と感じる人もいるかも知れません。しかし顯進様のみ言を通して考えれば考えるほど、私は最も具体的かつ根本的な解決策は「文化の戦い」に勝利することだと感じます。
≪顯進様のみ言抜粋≫
『心情文化の主人』(第三回W-CARP IEC開会の辞、韓国・牙山、2003年7月9日)
「皆さんは従わなければならない」と私は決して言いません。ビジョンと目標が何であるかを教え、もし皆さんがリーダーになりたいのであれば、このビジョンと目標の主人にならなければならない、自分のものにしなければならないと言います。そのビジョンと目標の主人になるということは、自動的にW-CARPの方向性とアラインしていくということを意味します。…(中略)…これこそ、私たちが迎える定着時代に合致した行動方法なのです。…(中略)
相続の過程には、主人意識とアライメントという、二つの要素が前提になっているのです。それが異なる二つの世代、または異なる二種類のグループを、一つの明確なビジョンと目標で結びつけることができる結束力をつくるのです。…(中略)
しかしながら、何もない真空状態においては、これをなすことはできません。ですから文化がとても重要です。何故なら文化とは、アラインメントの程度を決定するものだからです。ビジョンと目標だけでは不十分なのです。…(中略)…全てが同じ視覚で、そのビジョンと目標を見つめるようにする普遍的な文化を持つことが重要なのです。…(中略)
何よりも一番重要な点は、文化が正しいレンズや視覚を与えてくれるということです。私達は文化を通して、私達がビジョンや目標だと考えるものを正しく見つめることができるのです。…(中略)
アダムとエバが堕落しなかったら、どうだったかを考えてみてください。もしアダムとエバが堕落せず、真の家庭を実現することができていたなら、その家庭こそが人類の根本土台になっていたのです。…(中略)…何によってその理想家庭に結びついて、一貫して、一体化した観点を手に入れることができるでしょうか。それはまさに、最初の家庭から生まれた「文化」です。その文化とは、どんな文化だと思いますか。
原理の表現を使ってみましょう。四大心情圏とは何だと思いますか。それこそが、心情文化を創造するための基礎、あるいは根本ではないでしょうか。何を中心として。(真の愛)それでは真の愛とは何ですか。為に生きることです!
(『神様の夢の実現』174~177ページ)
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前回から、顯進様が2003年にW-CARPの国際教育カンファレンス(IEC)で語られたみ言を紹介しています(2回目)。IECはW-CARPの指導者育成の一環として行われたものです。
前回は、ビジョンと目標に対してオーナーシップを持つことで、燃え上がるような自発的エンジンを持つことができるということで書きました。それは、自動的にアラインメントされることを意味すると語られています。
今回は、文化について中心的に語られた部分です。文化がビジョンや目標を見つめる正しいレンズや視覚を与える、と言われた時に、かつての私は正直、ピンとこないものがありました。今は少しわかるようになった気がしますので、私見を述べます。
私達が持つべき文化というのは、言うまでもなくために生きる文化、真の愛の文化です。これがビジョンと目標を正しく見つめさせてくれるというのです。どういう意味でしょうか?
例えばお父様が、「青年を5万名伝道するんだ!」と仰ったとします。これは目標です。お父様の観点からすると、統一教会を犠牲にしてでも国と世界を救うために、最低限、5万名が必要だということです。しかし、私達においては、自らの教勢拡大を考えてしまいます。目標に対する見つめ方がお父様と私達で異なるのは、文化が違うからです。お父様は5万名の青年を通して国と世界を救いたいという真の愛に溢れていますが、私たちは、「早く迫害から抜け出してメジャーになりたい。5万名も青年がいれば…」などという自己中心的なことを考えやすいのです。
例えば顯進様が、奉仕活動を通して平和を実現する新しい運動を起こそうという指示を下さったとき、それは私達が認められるためではなく、国と世界のためです。しかし私達は何を考えるかというと、活動に参加した人が、最終的に私達のメンバーになってくれるのかどうか、奉仕活動した結果、私達の教勢が拡大するのかを心配してしまうのです。これも上の例と同じことで、文化の違いです。
キリスト教徒が最初にお父様と出会っていれば、恐らく私達より「真の愛の文化」を所有するのは、はるかに早かったことでしょう。
5万名を伝道するにしても、奉仕活動の運動にしても、人々は入り口では喜んでも、実際に中まで入ってみた時には、最終的にそこで感じる文化が真の愛の文化ではなく、根本的には自己中心の文化だとすれば、そこに共感したり感動したりできずに、離れて行ってしまいます。
統一教会というものを創設される時、お父様が本当に警戒されたのは、一つの教会(宗教団体)を作ることで、最終的に自己中心の壁にぶつからないだろうかということです。自叙伝から引用して終わります。
---- 引用開始 ----
とはいえ、私は教会というものをさほど好みません。…(中略)…本来、教会という言葉で人と私を分ける理由は何もありません。…(中略)…私が願ったのは教派のない教会でした。真の宗教は、自分の教団を犠牲にしてでも国を救おうとし、国を犠牲にしてでも世界を救おうとするものです。いかなる場合であっても教派が優先にはなり得ません。仕方なく教会の看板を付けたにすぎず、いつでもその看板を外したい思いです。…(中略)…国を生かし、世界を生かすために、もしも教会の看板を外さなければならないとするならば、今でも私はそうすることができます。
(『平和を愛する世界人として』131~133ページ)
---- 引用終了 ----
現在の統一教会(家庭連合)は、正にお父様が心配された道を進んで行っています。
私たちは「宗教」でなく「超宗教」でありたい!と思う食口はクリック!!
≪顯進様のみ言抜粋≫
『心情文化の主人』(第三回W-CARP IEC開会の辞、韓国・牙山、2003年7月9日)
今回の会議の目標は、ただ、知識や情報で皆さんの頭を満たして、頭でっかちにしてしまうことではありません。それよりも、皆さんが遵守すべき信念の主人となり、各国に戻ったら、皆さんが各国CARP支部とセンターを指導できるようにすることです。主人意識なしには、指導者になることはできません。
私はリーダーシップに対して、燃え上がるような情熱がなければならないと話しました。リーダーシップは自発的エンジン(Self-motivated engine)だと何度も言いました。…(中略)…毎日毎日、明確な目的とそれに対する情熱、そして活力がなければなりません。それは、皆さんが目標志向的人間になりなさいということです。それが、私がよく話している自発的エンジンです。このような姿になる為には、皆さんに、ビジョンや目標に対する主人意識が必要ではないでしょうか。
それがもし、誰か他の人のビジョンや目標だったとしたら、皆さんは毎朝起きた時、自らそのような意欲を持つことができると思いますか。もし、そのビジョンや目標とアライン(一致)していなかったら、皆さんは100%、そのビジョンと目標に投入することができると思いますか。
今までリーダーシップは、確信と信念から始まるということを、何度も皆さんに話してきました。W-CARPのビジョンと目標に、確信と信念を持っていれば、皆さんは指導者になることができます。私はいろんなリーダーに会いますが、彼らと根本的な違いを感じます。何かの組織のリーダーシップをとるとき、私がその組織のビジョンと目標を設定するのに、非常に多くの時間を費やすことを、彼らはよく目撃します。また、私が、時間と労力を費やして、そのビジョンと目標を推進するということも知っています。彼らは私が、常にそのビジョンと目標を離さないことを知っています。…(中略)
私がそうすることができるのはどうしてだと思いますか。それはビジョンと目標に対して、主人意識を持っているためです。ビジョンと目標が、私のものになっているのです!私が本当に願っていることは、W-CARPのビジョンと目標が、W-CARPの全リーダーと会員のビジョンと目標になることです。もしCARPメンバー全員が、W-CARPのビジョンと目標の主人になれば、どれほど莫大なエネルギーとパワーが生み出されるか考えてみてください。
(『神様の夢の実現』173~174ページ)
今回から、顯進様が2003年にW-CARPの国際教育カンファレンス(IEC)で語られたみ言を紹介していきます。IECはW-CARPの指導者育成の一環として行われたものです。
私が「顯進様」というお名前から連想するのは、その情熱的な姿です。私自身、どうやったらあのような情熱を持つことができるのだろうか、と身もだえすることもありますが、顯進様は「ビジョンと目標に主人意識を持つことだ」と語られています。
蕩減時代には、いわゆるお父様を中心とする活動に「動員」され、ついていくことで摂理に貢献してきた私たちですが、定着時代には一人ひとり、一家庭一家庭が、主人になって歩んでいかなければならないということです。
リーダーあるいは主人(オーナー)の対義語は、追従者(フォロワー)とか賃借人(レンター)ということになるかと思います。フォロワーは自分自身の中にビジョンと目標に向かっていく意欲がないので、お父様から見ると常に冷めています。一般的には「指示待ち族」という表現が近いのかも知れません。
「み旨を知った食口たちが落ち着きはらっているのを見るとき、先生はかえって異常な感じを受けるほどである。先生は神様と一体化し、サタンと三十億人類を相手として綱引きをする深刻な感じでみ旨の生活をしている」(『み旨の道』-み旨)
このようなお父様のみ言は正に、オーナーの立場からフォロワーを見たときに受ける印象なのだろうと思います。お父様が上のみ言を語られた時には、キリスト教の失敗によりみ旨が滅びるかどうかの深刻な状況でしたが、定着時代を迎えた今日においては、より夢と希望に向かっていく心情で歩んでいける時代かと思います。
ビジョンや目標を自分自身のものにするためには、三つの条件が必要だと言われます。第一に、それらを達成することが、間違いなく善いことだと感じられることです。第二に、それらの価値あることを達成することに対してワクワクするような意欲を掻き立てられることです。第三に、それらに対して現実的に実現する可能性や道筋を見出すことができるということです。
顯進様は『コリアンドリーム』という本を書かれ、韓国社会で多くの方々から評価されています。この本は私たちが韓半島統一とそこから始まるOne Family Under Godの夢に対して、上の三つの条件を満たしてくださるものだと思います。(日本でも一般の書店で注文することができます。是非とも、ご一読を!)
今は私たち一人ひとりが天一国という理想を具体的に描くことができ、実現の可能性にワクワクする衝動を抑えきれない程の、そういった心情で歩んでいく時代であるべきです。
「もしCARPメンバー全員が、W-CARPのビジョンと目標の主人になれば、どれほど莫大なエネルギーとパワーが生み出されるか考えてみてください。」と語られているように、すべての祝福家庭がそのようになったら、驚くべきことが起こるだろうと思います。
ワクワクしながら歩みたい食口はクリック!!
≪顯進様のみ言抜粋≫
『2002年W-CARPシンポジウム閉会の辞』(韓国・ソウル、2002年2月14日)
私たちは世界平和を打ち立てるという究極のビジョンを持って、どこの誰もなすことができなかった平和実現のために動いています。皆さんは外に出て行って直接行動し、歴史を書き換えたいと願っていますか。イエスですか、ノーですか。
それがまさに、サービス・フォー・ピースが追及するものです。このことを私は、別の方法で説明することができます。私たちは新しい時代、新しい段階に突入しました。人々が私たちが提供するものを渇望する時代を迎えました。また、私たちが神様と真の父母様を証し、解放してさしあげることができ、地球村大家族を建設することができる、そして神様、真の父母様、真の家庭との縦的軸に、人類が連結することができるそのような時代に突入しました。そのような世の中を実現したいと思うなら、皆さんは主人にならなければなりません。それが皆さんの夢にならなければなりません。それが皆さんの確信になり、皆さん自身の切実な願いにならなければならないのです。…(中略)
アメリカ合衆国の大統領が、テロに対する処方箋として出したものは何でしょうか。彼は一般教書演説で以下のように語りました。アメリカという超強大国の大統領が、その一般教書演説で、「テロはボランティアの理想と利他主義を通してこそ解決できる」と語りました。…(中略)
私が皆さんに、主人意識を持つように強要することはできません。皆さん自身が、それを自分のものとしなければなりません。それは皆さん次第なのです。それでは最後に、皆さんは心から、全世界に平和をもたらすこの運動の主人になりますか。(アーメン!)
(『神様の夢の実現』169~171ページ)
顯進様が2002年にW-CARPシンポジウムで語られたみ言を紹介しています(8回目・最終回)。
私が今日のみ言で最も印象的だったのは、「人々が私たちが提供するものを渇望する時代を迎えました。」という部分です。顯進様のこのみ言は、荒野時代と定着時代の違いを明確に表現してくださっていると思います。
復帰摂理歴史において、神様が召命したアベル的人物たちが迫害され血を流してきたのは、サタンが主権を握っている時代だったからです。しかし1945年当時、キリスト教が全盛期を迎えたその時は、神側が世界的な長子権を復帰した状態でした。つまり、神の摂理を行う人々が世の中から歓迎されながら行くことができる状態であり、国際連合が神の摂理の舞台になるような状態でした。しかし、キリスト教の失敗により、神様とお父様のみ荒野に追い出され、創設された統一教会は迫害の道を行かなければならなくなりました。
お父様の勝利圏により、私たちが再び定着時代を迎えたということは、1945年当時の摂理的状況まで回帰してきたということです。今や私たちは、神の摂理の中で価値のあることと、社会的に価値のあることが、多くの面で一つに重なる時代を迎えていることを知らなければなりません。しかしながら未だ荒野時代の観念の中にある家庭連合は、神の摂理のためにと言いながら社会的にマイナス価値にしかならない歩みを続けています。
顯進様はこのみ言の中で、ご自身が発想し行動する内容と、世の中全体の動きが驚くほど一致していることに、自ら驚かれています。そのように驚くべき摂理的飛躍を、本当はなせるはずです。真の家庭を中心とする統一家の四位基台が、その天運の受け皿であるべきなのです。
定着時代の意味が分かってきた食口はクリック!!