私自身は顯進様が摂理的長子であられると確信しています。 しかし、顯進様お一人ではなく、神様を中心として真の家庭の四位基台がなされてこそ実体的天一国の出発を成すことができます。 真の家庭理想の復活のために、祈りを込めて書きたいと思います。
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≪顯進様のみ言抜粋≫
『2002年W-CARPシンポジウム閉会の辞』(韓国・ソウル、2002年2月14日)
私は、「相続と発展」ツアーを行っている間、サービス・フォー・ピースについて考えていました。この名称は「相続と発展」ツアーが終わった後、2001年の新しい出発の時点で、CARPのリーダーたちと共に様々な意見を出し合っている時に、私の家のピアノの周りを歩きながら考えたものです。その時は私が2001年が国連のボランティア国際年ということを知る前でした。どういうわけか、今日、世界の状況は、私たちが行っている運動と関係のあるものに変化しています。
去年の夏、私はサービス・フォー・ピースの出帆を発表しました。そして、主要摂理国家4ヶ国を訪問し、サービス・フォー・ピースのメッセージを伝達しました。2001年の夏、大会をして、その秋にはアラスカで特別指導者修練会を開きました。アラスカ修練会の間、私は私たちが2001年巡回講演勝利を基盤に、今や「限界突破2003」の計画を立てる段階に入ったと宣言しました。それでは「限界突破2003」とは何でしょうか。…(中略)
私達はCARPの中で、この単語(現実)を2度と使わないことでしょう。 個人的な会話の中で、私は彼(W-CARP副会長)にこのように話しました。「副会長、私達がCARP指導者に、彼らがビジョンや希望、熱意を持って実行することができるマネージメント・ツール(管理指針)を与えるのは、一番最後になるでしょう。今、CARPと私たちの運動にとって最も重要なことは、彼らが可能な限り大きな夢を持つことができるようにすることです。そのためには、彼らが考えることができる目標を絶えず高めるようにしなければなりません。すなわち、彼らが自分のパラダイム(思考の枠組み)を転換できることができるようにしなければなりません」と。なぜ、そうしなければならないのでしょうか。限界を作ってしまうのは、他の誰でもなく自分自身だからです。もし、皆さんが夢を持つ能力がなければ、もし皆さんが可能性を見出すことができなければ、もし皆さんが希望を持つことができなければ、皆さんは大きな仕事をすることはできません。皆さんは革命の主役になれません。皆さんは変化の主役にはなれません。皆さんは2003年を主導し、限界を突破する人にはなれないでしょう。…(中略)
歴史を見てください。歴史上の大きな流れを見てください。そして、歴史の中に重要な変化をもたらした人を見てください。歴史の中で重大な変化をもたらした人は、夢を持った人であり、絶えず可能性と機会を模索してきた人であり、また高い理想を持った人ではなかったといえますか。
(『神様の夢の実現』165~168ページ)
顯進様が2002年にW-CARPシンポジウムで語られたみ言を再開します(7回目)。
今回のみ言の中で私が個人的に最もインパクトを受けた部分は、顯進様がSFPという名称を「私の家のピアノの周りを歩きながら考えた」と語っておられる部分です。み言の本筋にはあまり関係ないでしょうが、太字にしてしまいました。なぜならこの部分を通して、顯進様も私たちと同じように思案され、「あ、こうしよう」とか「これだ!」とか、そういう過程を通して意思決定をされ、神の摂理を担当しておられるのだということを感じたからです。きっと、お父様もそのようにしていらっしゃったことでしょう。何が最も神様への親孝行になるのか、創造性を発揮されながら歩まれたに違いありません。
このみ言を語られたのは2002年でしたが、顯進様はすでに「限界突破2003」と、その翌年になすべき飛躍について語られています。今日の顯進様の活動の飛躍を見れば、正に「限界突破」されたのですが、当時、私たちはそのようにはできませんでした。
顯進様は公的な責任を持たれてから段階的に必要な転換を訴えておられました。最初に荒野時代から定着時代へのパラダイム転換について教育され、その上で指導者の文化を改革するために修練会をされました。そしてこの2002年の大会ではCARPとSTFの文化について語られ、「限界突破」を訴えられています。ですから「限界突破」の前提は、定着時代へのパラダイム転換の理解と、指導者の文化改革です。
当時、統一運動のリーダーたちがどれだけ定着時代の意味を理解し、自らの持つ文化を根本的に悔い改めることができたでしょうか。それは今に至っても成されていません。もしも定着時代を理解していれば、お父様の聖和後になされた家庭連合の方針が、どれだけ摂理に適っていないか、そして「独生女」論がいかに話にもならない話なのかを容易に判断できているはずです。
顯進様が「限界突破2003」を語られた時、私たちの多くはその意味が分からなかったし、私たちの前にある天運や機会を理解できませんでした。しかしもしも私たちが定着時代の意味を理解し、その上で正しい文化を持つならば、ブレイクスルー(限界突破)は可能でした。まったく新しいステージへと、私たちの運動は飛躍できたはずです。
今、お父様の勝利によって築かれた巨大な天運だけが宙に浮いており、真の家庭と統一家が再び一つになる時を待っている状況です。
一つになるためのクリック!!
≪顯進様のみ言抜粋≫
『2002年W-CARPシンポジウム閉会の辞』(韓国・ソウル、2002年2月14日)
私達の文化の三番目のコア・バリューはチームワークに関することです。私はチームワークを、人種や文化、民族、そして私達を物理的に区分させる外的特徴を超えて、誰かの長所を理解し認識することと定義しました。皆さんは神様が、人類をどのように見ていると思いますか。もし神様が「子女たちが主人意識を持って、彼らの長所を発展させることを願う」という観点で人類をご覧にならないのであれば、どうして神様は人間に5パーセントの責任分担を与えられたりするでしょうか。
5パーセントの責任分担は、創造と関係した概念でだけ定義してはいけません。神様には計画があり、アダムとエバの5パーセントの責任分担は、その計画を生活の中で実体化するための彼らの選択を意味するものです。彼らは自分がとる全ての行動を通して、完全に神様を代身し、神様の直接主管圏において生きることによって、完全な関係を築くために努力しなければならなかったからです。それで私たちがお互いを見る時、神様も認めていない表面的な内容に基づいて、お互いを判断するよりは、お互いの長所に基づいて判断すべきです。その長所は、誰が最も裕福で、誰が最も美しいか、誰が最も知的で、最高の演説家であるかなど、そういう外的な基準によるものではなく、誰が最も神様を中心とした観点に立っているかという点から見た長所のことです。
簡潔に説明すれば、それは子供を見つめる親の観点と同じです。父母の心は自分の期待を最もよく実現しようとする子女に自然に行くようになっています。大抵の父母が、このような子女に対して情熱を注ぐのは、その子女個人だけのためではなく、このような子女が全ての人のために生きているからです。父母の心はそのような子女のほうに動いて行きます。子女は家庭内でこのような支援を受け、その子女の心には父母の心情を感動させようとする孝行心が生まれるようになります。チームワークはまさにこのような基台の上に作用するのです。
このような内容が、新しい文化、新しい革命、つまり内側から始まる変革のための礎石です。この文化は私が教育しているここCARPと二世から始めていきます。そして、それを統一運動全体に広め、統一家が真の家庭文化を実体化できるように変革した後、更に世界に拡大し、全世界に真の家庭文化を実現していくのです。(アーメン!)
(『神様の夢の実現』164~165ページ)
顯進様が2002年にW-CARPシンポジウムで語られたみ言を紹介しています(6回目)。前回は、神様の夢を自分の夢とすることで、オーナーシップを自分で探し出すことについて書きました。今回は、チームワークに関するみ言です。
家庭内において、一人の子女が父母と同じ観点で家庭全体の幸福を願い、そのために尽くそうとするならば、父母のその子に感謝し、自ずと愛情を注ぐようになります。そして、そうであればある程、その子女もまた、ますます父母に孝行したいと思うようになります。
また、父母の観点からは子女の課題や欠点ではなく、可能性や長所を見ようとするように、私たちがお互いに親なる神様の観点に立ち、互いに尊重し、可能性を信じ、長所を見つめようとする時、真のチームワークが発揮されます。
顯進様はこのような理想家庭に現れるべきチームワークの文化をCARPから始めて統一家全体の文化にしようとされましたが、今日、現実的には統一家は分裂しました。統一運動のリーダーたちが父母の観点でお互いを見つめ、互いを信じて可能性を信じ、長所を見つめ合っていたならば、このような分裂は絶対にあり得ないことです。
現在、金ジョンソク氏の著書『統一教の分裂』を通して「統一家の混乱の源に一体、何があったのか?」ということが浮き彫りになってきつつあります。正しいことは、時の流れと共に明らかになるものでしょう。しかしそれを明らかにしつつも、私たちにはもっと本質的な戦いがあります。それは、顯進様が私たちに所有させようとしたコア・バリューの文化を自らのものにするという戦いです。これこそ、無限に発展する運動の核を創るための最終的な戦いだと思います。
自分を変える決意のクリック!!
≪顯進様のみ言抜粋≫
『2002年W-CARPシンポジウム閉会の辞』(韓国・ソウル、2002年2月14日)
私達の文化の二番目のコア・バリューは主人意識ですが、なぜ、主人意識なのでしょうか。皆さんが持っていないものを、自然に相続することができると思いますか。決してそうではありません。祝福二世であったとしても、多くの二世は自分の信仰と信念の主人になることができないでいます。皆さんがはっきりと知るべきことは、主人意識は自分自身で見出さなければならないということです。どこの誰も代わりにやってくれることはありません。たとえ皆さんがそのような信念と主人意識を持つように、皆さんの親が祈祷したとしても、それを実現しなければならないのは皆さん自身です。
アダムとエバがエデンの園にいた時、神様は彼らに対する夢とビジョンを持っていました。しかし、その夢を実現するのは彼らの責任でした。それは今日、私達二世たちにも与えられた責任です。主人意識は相続を可能にする基本的条件です。
(『神様の夢の実現』163~164ページ)
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顯進様が2002年にW-CARPシンポジウムで語られたみ言を紹介しています(5回目)。前回は、統一運動のリーダーは真の愛が単なる概念で終わっており、実際の生き方の中に反映されていないため、かえって統一家の分裂を招いているということで書きました。
今回はオーナーシップについてのみ言です。オーナーシップは神様の夢を自分のものにするところから生まれます。
お父様がこの道を出発された時、韓国の悲惨さや人類歴史の悲惨さをご自分で感じられ、解決の道をご自分で祈られ、ご自分で神様を見出して、その夢の為に出発されました。『栄光の王冠』の詩にも表れているように、その時、真の愛に向かおうとするご自分の本心に従って出発されたのであって、誰かに言われて出発された訳ではありませんでした。そしてその時、One Family Under Godは神様だけの夢ではなく、お父様の夢になりました。
一方で私たちにおいては先に教会組織があり、誰かに誘われてこの道を出発しました。そして様々な活動に動員され、み旨を成すその場に「居合わせた」というだけである場合が多いのではないでしょうか?お父様の背中を見つめてついてきましたが、お父様が目指す夢を私自身のものにできた人、自立駆動のエンジンを持つことができた人は多くはなかったようです。
今は私たち子女の責任分担時代です。責任分担は、本然のアダムとエバがそうであるべきだったように、夢に向かって躍動するようになされなければなりません。そうであってこそ、責任分担を通して「神の創造性までも似る」ということが可能になってきます。
オーナーシップを自分自身で探し出すこと、これが私たちがお父様が地上におられる間に果たせなかったことを果たし、お父様の恨を解いて差し上げる鍵だと思います。
「オーナーシップを探すのに、歳を取りすぎたということはない!」と思う食口はクリック!!
≪顯進様のみ言抜粋≫
『2002年W-CARPシンポジウム閉会の辞』(韓国・ソウル、2002年2月14日)
今まで、私たち統一運動のファミリーは一つになっていましたか、それとも分裂していましたか。どこから分裂は生じましたか。誰がこの分裂を引き起こしましたか。私はこの分裂が理想家庭と真の家庭を見つめる神様と真の父母様の希望と夢、そして願望とは違うということを知っています。それで私たちは本然の位置に戻らなければなりません。私達は創造の根本動機を見出さなければなりません。私たちは人間の為に復帰摂理を始められた神様の動機を知らなければなりません。その原動力とは何でしょうか。それはまさに真の愛、すなわち為に生きることです。そして、それはただの概念的なものであってはなりません。私たちのアイデンティティーの中に具現されなければならないものです。これが正にCARPの文化であり、更に根本的には真の家庭の文化です。この文化の第一番目のコア・バリューは、為に生きる真の愛です。
(『神様の夢の実現』162~163ページ)
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顯進様が2002年にW-CARPシンポジウムで語られたみ言を紹介しています(4回目)。前回は、長子は父母の愛の立場に立たなければならないということで書きました。今回は短い引用ですが、顯進様は統一家の分裂について言及されています。
恐らくこの当時から、顯進様が統一家の分裂に関して具体的な個人名を挙げて批判をしようと思えば、いくらでもそれができただろうと思われます。しかし長子として父母の観点に立ちながら、真の愛で一つになることを訴えられています。
実際には、統一家のリーダーたちは、「真の愛」について多く学び、多く語ってきたけれども、それが概念で終わってしまっていて、逆に統一家を分裂させてしまっているということを指摘されてのみ言です。
私の知る限り、顯進様は今に至っても、教権勢力の過ちということは言われても、公の場で個人について言及されたことはないと思います。長子は父母の代身だからです。このような方が真の子女様の中にお一人でもいて下さることが、感謝です。
感謝のクリック!!
≪顯進様のみ言抜粋≫
『2002年W-CARPシンポジウム閉会の辞』(韓国・ソウル、2002年2月14日)
家庭盟誓には、孝子、忠臣、聖人になり、聖子になるということを強調しています。孝行息子になろうとする動機は何でしょうか。もし、息子が真の息子、すなわちアベル的息子だというのなら、どのような種類の愛を所有する必要がありますか。…(中略)…最終的に彼は、父母の愛を理解し、体現すべきなのです。父母の愛を相続することによって、ために生きる生活を実践する孝行息子は、全てのことを父母の観点から見つめるのです。…(中略)…家庭の和合と統一も、兄弟姉妹を通してなされるのではなく、それぞれの子女が、父母の愛という縦的な軸につながることによって生まれてくるのです。ですから、家庭に和睦をもたらすことができるのは、父母の立場で全てのことを見る孝行息子なのです。
同じように神様も、人間が堕落することによって、人類歴史の始まりと同時に打ち砕かれた神様の理想と希望、夢を実現する息子が必要でした。だからこそ、真のアダム、すなわちメシヤの役割が必要なのです。
だからこそ、縦的伝統が重要なのです。それは皆さんが、神様、そして神様の摂理と連結することができる唯一の道です。そしてそれは、自分が自らのアイデンティティーを発見する道でもあります。確立する場なのです。それは、どのようなアイデンティティーでしょうか。神様と真の父母様の真の息子、娘としてのアイデンティティーです!
21日特別修練会の中で、なぜ、私は「真のアベル」という用語を作ったのでしょうか。「真のアベル」という言葉には、「偽りのアベル」が存在するということを前提としています。…(中略)…アベルは一番上の兄の立場に立っています。ですからそれは、父母の希望や夢や愛を代身しなければなりません。彼は家族を一つにする代身者なのです。
(『神様の夢の実現』161~162ページ)
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顯進様が2002年にW-CARPシンポジウムで語られたみ言を紹介しています(3回目)。前回は、家庭が一つになるには、縦的伝統の理解、すなわち父母の無償で絶対的な愛を子女が理解しなければならず、したがってOne Family Under Godを実現するためには、親である神様の真の愛を地上に連結させる縦的軸が必要だということで書きました。
今日のみ言では、昨日のみ言に引き続き、長子としてのアベルは父母の観点から家族を見つめなければならないと説明されています。メシヤは神様の長子として来られ、親である神様の観点で人類を見つめます。また、真の家庭の長子は、やはり父母の観点で真の家庭と人類を見つめなければなりません。
「家庭の和合と統一も、兄弟姉妹を通してなされるのではなく、それぞれの子女が、父母の愛という縦的な軸につながることによって生まれてくるのです。」と語られています。「それぞれの子女が」とありますので、カインの子女である祝福中心家庭も、次子である子女様たちも、長子に倣いながら、父母の観点で真の家庭と人類を見つめることで、和合と統一が可能になるということです。
晩年のお父様は、お母様の過ちに気づかれ、それを指摘されながらも、最後までお母様を愛されたと思います。お母様の過ちが事実だとしても、そのようなお父様を悲しませる態度をお母様に対して取ることはできないと思います。顯進様は今、お母様が霊界に行かれるとき、お父様とお母様が何とか一緒にいらっしゃることができるように、あきらめずに努力されていると思います。
お母様を愛している食口はクリック!!